2019年11月12日(第633号)
今週のテーマ:カウラ事件75周年記念式典報告会
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お蔭さまで、去る11月3日、カウラ事件75周年記念式典報告会を滞りなく開催させていただくことが出来ました。
報告会には、元日本兵捕虜で最後のカウラ事件サバイバーである村上輝夫さん(99歳)がわざわざ鳥取から参加してくださったほか、事件で若い命を散らした伝説の零戦乗り・柿本円次さんのご遺族や、オーストラリア映画『The Broken Sun』の中でカウラの日本兵を演じた経験をおもちの役者・宇佐美慎吾さんが駆けつけてくださるなど、75周年にふさわしい、実に濃厚な時間を分かち合うことが出来たように思います。
当初、10月13日に開催が予定されていた報告会ですが、台風19号の上陸が予測されたため日程を延期することを余儀なくされました。
その結果、報告会を欠席せざるを得なくなってしまった方々には深くお詫び申し上げます。
報告会に出席してくださった皆さま。
会場を提供してくださった東京・目黒のスタジオEASEさま。
ファンドレイジング「村上輝夫さんをカウラへ!」へのご寄付をはじめ、さまざまな形で応援して下さった全ての皆さま。
このたびは本当にお世話になりました。
この場をお借りしまして、改めて深く感謝申し上げます。 |

会場(スタジオEASEさま)の様子。
こんな洒落た会場でカウラ事件のお話をするなんて、なかなかないことです。

報告会当日の流れ。①が約1時間、休憩をはさんで②と③がそれぞれ約30分。
合計2時間ほどの講演とないました。

カウラ事件の概要を50字で表現してみました。

休憩時間、皆さんにはスコーンとコーヒー、カウラ産ワイン「サクラシラーズ」を
楽しんでいただきました。スコーンをお出しした理由は後述します。

参加者の皆さんと、村上さん(最前列中央)を囲んで記念撮影。
村上さんの向かって左は今回の報告会を主催してくださった唄淳二さんです。 |
ちなみに今回、皆さまにスコーンを召し上がっていただいたのには深い理由がありました。
1944年8月5日、カウラ事件発生の直後から、カウラ(およびその周辺)では収容所から飛び出してきた複数の日本兵捕虜がそのへんの民家の軒下に迷い込むという事態が発生していました。
突撃ラッパの音とともに収容所から飛び出したはよいけれど、そもそも「脱走」をするために起こした暴動ではありませんから、日本兵捕虜たちに具体的な行き先があったわけではありません。
さりとて最初の目標であったはずの「死」も、いざとなってみると、なかなか達成できる目標ではなかったようです。
(実際、カウラ事件を生き残った多くの元捕虜たちが、「最初は死ぬつもりで飛び出したが、いざとなると死ぬことが怖くなった」という意味のことを私のインタビューで答えています。)
時間が経つにしたがって、心身の疲れ、ひもじさ、寒さ(注:8月は南半球では真冬です)などに襲われ、彼らは文字どおり疲労困憊していたことと思います。おそらく休憩場所が欲しかったのではないでしょうか。
しかし、カウラの住民の立場に立ってみれば、敵の脱走兵が庭先に座りこんでいるというこの状況は、とてつもなく恐ろしいことですよね。
そころが――ここが実に興味深いところなのですが――住民たち(複数の女性を含む)は、脱走して来た日本人捕虜を見ても大騒ぎをするどころか、逆に自宅に招き入れ、熱いコーヒー(または紅茶)とスコーンを振る舞うなどして労(いたわ)ってくれたのです。
この、驚くべきおおらかさ!
しかも、同じような事例はひとつだけでなく、複数報告されているのです。
もちろん、スコーンとコーヒーで一服したあとの捕虜たちは、住民からの通報を受けてやって来たオーストラリア軍のトラックに乗せられて再び収容所へ連れ戻されたわけですが……このときに日本兵たちがカウラの普通の人たちから受けた暖かいおもてなしのことは、もっと語り継がれてもよいのでは? 私は常々そう感じているのです。
ひとことで言えば、スコーンはカウラの良心のしるしであり、もっと大げさに言えば日豪友好のしるしではないのかと。
ちなみにスコーンはホームメードのお菓子で、もともとはスコットランド発祥だそうですが、今も英国ならびに英国系の国(オーストラリアなど)で好んで食べられます。
母から娘へとレシピを伝授する伝統があったそうですから、まさにオーストラリアの母の味/ソウルフードと言ってよいでしょう。
皆さんも、どなたかにカウラ事件の話をする機会がありましたら、ぜひスコーンの話も付け加えてくださいね♪ |
↓今月の一枚の写真↓
父(鈴木寛)が亡くなってから、去る11月9日で満15年。
母と一緒に墓参りをしてきました。父の想い出話に花を咲かせながら、
水を運び、墓石を洗い、雑草をむしり、結構よい運動になりましたよ。
母には父の分も元気で楽しく長生きしてもらいたいなと切に願っています。
なお、父が亡くなったときの「週マ」はこちらからお読みいただけます。

(上)写真は若かりし日の父と生後間もない私。父と二人だけで
撮った写真は数えるほどしかなく、これは貴重な一枚なんです。
(下)父が眠る墓。高台から故郷・長野市を見下ろしています。 |
日ごとに寒くなってまいりました。
もう、いつ初雪が降りはじめても不思議はありませんね。
しかし信州の山小屋から遠くない被災地では今も泥の撤去作業などが黙々と続けられています。
どなた様も、どうか風邪などお召しになりませんよう、お怪我をなさいませんよう、くれぐれもお身体に気をつけてお過ごしくださいませ。
なお、私はカウラ事件を目撃した元台湾人捕虜の男性(92歳)をインタビューするために、12月に台湾へ行ってまいります。詳しくは、また「週マ」にてご報告させていただきますね。
ではでは♪ |
▼・ェ・▼今週のクースケ&ピアノ、ときどきニワトリ∪・ω・∪

すっかり秋めいてきた山小屋にて。
初雪までカウント・ダウンかな?
(※前号までの写真はこちらからご覧ください) |
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