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2014年1月2日号(第500号
今週のテーマ:
カウラ事件70周年の幕開け
★ 仏教エッセイ ★
『仏教一年生』は、『仏教二年生』と改題して近々新スタートの予定です。暫くお待ちくださいませ。
※これまでのエッセイは左のロゴをクリックしてご覧になれます。
 
 2014年、あけましておめでとうございます。
 皆さまには健やかな新春をお迎えのことと存じます。

 さて、今年はいよいよ博士論文を完成・発表させる勝負年

 と同時に、私がこれまで20余年にわたって調査研究してまいりましたカウラ事件が、発生(1944年[昭和19年])から数えて70周年を迎える節目の年でもあります。

[お正月写真①]今年、私から母へ贈った「お年玉」は五色の達磨さん。目を入れたのは母+彼女の4人の
孫でした(うち1人は当日不在だったためまだ目を入れていません)。それぞれの願いが叶いますように♪
 これまでも拙著・テレビ番組・講演会・ブログなどを通じて幾度となくお伝えしてまいりましたように、今から70年前の1944年8月5日、オーストラリア内陸部の町・カウラ(Cowra)の「カウラ第十二戦争捕虜収容所」Bキャンプに於いて、最大で1,104名の日本兵捕虜による集団自決的暴動(いわゆる「カウラ事件」)が発生しました。

 戦後、事件は主として日豪両国の研究者やジャーナリストによって研究されてまいりましたが、70年の歳月が経た今もなお、多くの未解決部分を孕んでいます。

 事件が全面解決されない要因の一つは、当時の日本社会に於いて陸軍を中心に支配的であった捕虜禁忌の思想です。

 この思想ゆえに多くの日本兵捕虜が偽りの名前と身分を申し立てており、そのことが事件の全貌を知る上で大きな障害となって立ちはだかっているという現実が在ります。

 これとは別に、旧日本軍が日本兵捕虜の存在を(実際は知っていたにもかかわらず)なかったことにして戦死として片付けたという事例も聞きます。その場合、“遺族”に対しては誰のものかもわからない遺骨(実際には爪)あるいは遺髪を送りつけることもあったとのこと。

 昨年の暮れ、次のようなことがありました。

 大戦中にカウラのBキャンプに収容されていた日本兵捕虜の個人情報を片端から読んでいたところ、その中にとても珍しい苗字の方を発見しました。日本全国でも数えるほどしか該当者がいない苗字で、私の友人にもこの苗字を名乗る方がいらっしゃいます。

ひょっとしてご親戚では……

 そう思って友人に問い合わせたところ、やはりその方のご親戚であることが判明。しかも、この兵隊さんは実際にはオーストラリアの病院で捕虜として病死なさっているにもかかわらず、日本軍からは「ニューギニアで戦死」との通知が届いた由。ご遺族たちは、今回私から連絡がゆくまでの約70年間にわたって軍の言葉を信じ、ご供養をつづけてこられたようでした。

 近々ご遺族にお目にかかり、故人がカウラの日本人墓地に祀られていることなど詳細を説明してまいる所存ですが……捕虜関係では、未だにこのようなことが起こり続けているのです。
 
[お正月写真②]今年の年賀状。大晦日に文章を考え、自宅のプリンタで印刷。宛名は1枚ずつ手書き。
どうにかギリギリ2013年のうちに投函できました!
 カウラ事件が全面解決しないもう一つの大きな要因は、これまでの研究が精神論に重きを置きすぎ、身体論を軽視してきた点にあると私は考えています。

 第二次世界大戦期、日本軍が精神論を前面に打ち出した一方で、武器弾薬や食糧の補給についてはしばしば無策だったことは周知の事実です。その結果、場所によっては戦死者よりも多くの餓死者が生じる痛ましい結果となりました。

 そして、皮肉な話ではありますが、この「精神論に重きを置く」傾向は、長きにわたってカウラ事件研究に於いても見られる傾向であったと言えるかも知れません。

 カウラ事件はこれまで、「武士道精神」や「生きて虜囚の辱めを受けず」のような軍人精神論に則って語られることが多く、肝心の捕虜の身体が事件当日どのような状況に置かれていたのかというフィジカルなデータに基づいた研究は非常に少なかった(あるいは、ほとんどなかった)のです。

 私がそのことを痛感したのはお茶大に入ってからでした。博士ゼミでは既存の常識を徹底的に疑い、あらゆる可能性を考慮に入れた上でクリティカル・シンキングをすることが必須です。何を書くにも全て裏付けが必要ですから、たった1行の文章を書くために何日もかかることが珍しくありません。

 そのような目でカウラ事件を見つめ直した時、私は次第に、

「従来のカウラ事件研究には何かが欠けている

と感じるようになっていました。欠けているものとは一体何だろうか。それを徹底的に模索し、たどり着いたのが、「欠けているのは捕虜の身体性という視点だ」という発見だったわけです。

[お正月写真③]1月2日の山小屋周辺の様子。昨夜から雪がしんしんと降り積もっております♪
 幸い私の手元には、これまで論じられたことのない捕虜の身体に関する貴重なデータがあります。博士論文にはそれらのデータを盛り込み、カウラのBキャンプに収容された日本兵捕虜の身体を通して新たに見えてくる第二次世界大戦を論じます。

 これまで私の研究に協力してくださった元日本兵捕虜の皆さま(大部分の方が鬼籍に入られてしまいましたが)にお見せしても恥ずかしくない博士論文を完成させたいと思います。

 以上、今年の抱負でした。
 いつもの「週マ」に比べて少しばかり内容が堅くなりましたが、テーマがテーマですので何卒お許しください♪

 なお、既にお気づきのことと思いますが、今週の「週マ」はなんと500号(!!!)です。
 というわけで今回は「お年玉」代わりの読者プレゼントをお付けしたいと思います。

 プレゼント(中身は開けてのお楽しみ)をご希望の方は、

(1)ハンドルネーム
(2)性別
(3)年齢
(4)ご職業・学校名
(5)山田真美へのメッセージ
(日本語または英語)

を明記の上、までメールでご応募ください。
 なお、メールの件名は「500号記念読者プレゼント」でお願い申し上げます。

 抽選で1名の方にプレゼントをさしあげます。応募締切は1月10日、発表は1月11日発行の「週マ」といたします。ふるってご応募くださいませ。

 それでは皆さま、本年も何卒よろしくお願い申し上げます♪
▼・ェ・▼今週のブースケ&パンダ∪・ω・∪


誰もが「もらい笑い」したブースケ氏の新春初笑い

(※前号までの写真はこちらからご覧ください)
事事如意
2014年1月2日
山田 真美
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