旅に出ていない限り毎週土曜日に更新します。
直前号(四世代初お泊り会と2本の桜)は
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こちらから御覧になれます。

2015年6月27日号(第536号)
今週のテーマ:
エチオピア滞在の記録
お 知 ら せ
※7月11日(土)、在日インド大使館にて印日文学祭2015が開催されます。私は午前の部のモデレータ/パネリストを務め“三島と私―「インド的」なるものへの渇望とその文学的アプローチ”のテーマでお話します。入場無料。事前申込制。詳細は右画像をクリック。
※『生きて虜囚の辱めを受けず』『インド大魔法団』の版元
清流出版の加登屋陽一さんが、私の仕事についてブログに書いてくださいました。こちらからご高覧いただけます。
※エチオピアにおける私に関する記事(英文)が同国の国営新聞
エチオピア・ヘラルド紙に掲載されました。こちらからご高覧いただけます。
 
 前回の「週マ」で予告したとおり、エチオピアの2つの大学で三度の特別講義をしてまいりました。それぞれ異なるテーマでの講義。 使用言語は全て英語でした。

[ 第一講義テーマ ]
女性の力―1934年にエチオピアの王子と婚約した日本人令嬢の場合
(主催: 私立マイクロ・ビジネス・カレッジ アンボ校)

[ 第二講義テーマ ]
「モッタイナイ」とその先にある「3つのR」―日本の小学生による毎日の全校清掃を例に
(主催: 国立アンボ大学 生物学部)

[ 第三講義テーマ ]
継承することの大切さ―世界最古のロイヤルファミリー・企業・ホテルに見る日本的マネージメント
(主催: 国立アンボ大学 経済学部)

 講義終了後は、教会&博物館めぐり、温泉探索、工場見学前エチオピア大統領ギルマ・ウォルドギオルギス・ルチャ閣下主催の夕食会、マラソンの金メダリストアベベ氏の墓参りユダヤ人コミュニティ訪問など、濃厚な11日間を過ごして参りました。


5月22日(金)
移動(成田~香港経由~アジスアベバ)


 全くひょんなことからエチオピアの2つの大学の招待を受け、日本の近現代史と日本文化に関する三度の講義を行なうことになった。急な依頼ではあったが、エチオピアに於ける日本のプレゼンスを少しでも高めることができればと思い、引き受けることに。

 移動にはこの4月に就航したばかりのエチオピア航空(成田~アジスアベバ間)を利用。片道15時間強の長旅ながら、サービスがよく、思いがけず快適な旅であった。

インドの上を飛び越して、一路エチオピアの首都アジスアベバへGO!



ビジネスクラスの座席。




機内食は成田~アジスアベバ間で4回も供された。
明らかに食べ過ぎ(苦笑)。
食事はシーフードをお願いした。
赤ワインはエチオピア産で、なかなかイケる!
5月23日(土)
歓迎のコーヒーセレモニー


 エチオピア第一日目。今回の第一回講義を行なうことになっているマイクロ・ビジネス・カレッジのアベラ学長の招待で、学長のお母さま宅(アジス・アベバ市内)にて歓迎のコーヒー・セレモニーの洗礼を受けた。

 客人をもてなす際、エチオピアでは何がなくともコーヒーだけは欠かさないらしい。そして、このコーヒーを飲む集まりを「コーヒー・セレモニー」と呼ぶのだという。

 コーヒー発祥の地であるエチオピアでは、コーヒーは単なる飲料ではないようだった。「セレモニー」という呼び方が示すように、それは多分に精神性を伴った何かのようであった。

 かつて戦争が頻繁に行なわれていた時代、コーヒー・セレモニーが開かれている時空間では、敵味方ともに戦いを放棄してコーヒーを飲んだという。このあたり、日本の茶道の歴史に通じるものがあってたいへん興味深いことであった。

マイクロ・ビジネス・カレッジのアベラ学長(後列中央の男性)と
お母さま(向かって左)のご一家。



ケータマという植物の葉が敷かれ、コーヒーセレモニーの
準備が整った床の上。
ちなみにケータマはパピルスによく似ている。



エチオピアではホストが「手洗い器」を
持って回ってきてくれるので、
わざわざ手を洗いに行く必要はない。



この家の女性がコーヒー豆を炒り始めた。
茶道における「東(とう)」に該当?



炒った豆を「臼」のような器の中で挽いているところ。



挽いた豆をポットに入れ、炭火にかけてゆっくり煮出す。



砂糖を所望する人のコーヒーには、この段階で砂糖が入る。



ちなみに、町じゅうほぼどこへ行っても
このデザインのカップばかりが出回っていた。
裏返してみたらMade in China!
国産品でないのが残念だ。



コーヒーの前に、今作ったばかりのポップコーンが配られる。
日本の抹茶と違って甘い菓子が供される習慣はない。



セレモニーと言っても飲み方に難しい
決まりがあるわけではなく、
ただ普通に飲めば良いようだった。
5月24日(日)
エチオピア駐在インド大使を表敬訪問


 朝、起きてみると少し頭がボーッとしている。階段を10段登っただけで息切れがした。

 アジスアベバは標高が2,500メートルほどあるのだから、こんな症状が出るのは当然と言えば当然か。信州生まれ・ヒマラヤ育ち(?)の私には楽勝だと思っていたが、やはり少しは身体に影響があるようだ。人によっては睡魔に襲われることもあるらしい。いずれも1日、2日で順応できるが、酸欠が原因だ。

 夕方からはエチオピア駐在インド大使公邸を訪ね、サンジャイ・バルマ大使夫妻にご挨拶。エチオピアまで行っても私の心はインドを忘れないのであった(笑)。
 
エチオピア駐在インド大使ご夫妻と(大使公邸にて)。
5月25日(月)
移動(アジスアベバ~アンボ)


 今日は主都アジスアベバからアンボへ移動。方向としてはほぼ真西、自動車で約1時間半のドライブであった。

 アンボはオロミア州に位置し、ミネラルウォーターと温泉で有名な街なのだそうだ。そして今回の滞在中に私が講義をする大学は、2校ともここアンボにある。

 こうして知らない街をドライブするのは楽しい。なにしろ何もかもが珍しいから。途中で見かけたベニヤ板でできた等身大おまわりさんに私は大受けしたのだが、同行してくれたエチオピア人たちは誰もそのおかしさを理解できないようだった。

 チェックインしたホテルでは鏡の位置が高すぎて目から上しか映らず、また蚊の大群に襲われて全身を30か所以上刺される悲劇も。どこの国へ行っても私は蚊に愛されるのだ。やれやれ。
 
道端で見かけたベニヤ板製おまわりさん人形。私一人でバカ受け。



エチオピア人は長身だと聞いてはいたが……。
位置が高すぎて顔が見えないホテルの鏡。



アンボで最初の夕食。18年来の友達であるシバクマール氏
(私の隣に座っているインド人)と合流。
彼はアンボにあるマイクロ・ビジネス・カレッジの広報部長をしており、
今回の私のエチオピア講演を最初に提案した張本人なのだ。
5月26日(火)
第一回講義(マイクロ・ビジネス・カレッジ)


 今日はマイクロ・ビジネス・カレッジにて特別講義を開講した。英語での講義だが、タイトルを日本語に訳すと「女性の力―1934年にエチオピアの王子と婚約した日本人令嬢の場合」となる。

 今となっては日本人でも知っている人はごくわずかと思われるが、エチオピアがイタリアに侵攻される前の1934年、エチオピアのアラヤ・アベバ王子と日本人の子爵令嬢・黒田雅子さんがドラマティックな経緯で婚約するという出来事があったのだ。

 この黒田雅子さんという方は、非常に意志の強い、とびきり外交的な女性だったようだ。親にも相談せずみずから王子の結婚相手に立候補なさったというのだから、日本人女性としては破格の存在だったと言うべきかも知れない。

 さまざまな政治的思惑につぶされた世紀の婚約劇だが、無事成婚に至っていれば、日本とエチオピアのその後の関係はもちろんのこと世界情勢も今とは多少違っていたと思われる。

 講義では、黒田さんのお話を中心に、女性が持つポテンシャルや、日本の女性の地位の変遷と現状について1時間ほどお話させていただいた。

 終了後の質疑応答も活発に行なわれ、第一回目の講義はまずまず大成功であった。
 
マイクロ・ビジネス・カレッジでのレクチャーの特別講義のチラシ。



左からアベラ学長、メインスピーカーの私、副学長、
コーディネータ役のシバクマール氏。



講義中の一コマ。



講演後の質疑応答。学生のみならず教授陣からも
活発な質問が飛び出したのは嬉しい限りだ。



オーディエンスの約9割が男性だったことだけが残念。
次回はより多くの女性に参加してほしい。



演台の傍らでは女学生たちが炭を熾(おこ)し、コーヒーの準備中。
この国では、人が集まればコーヒー・セレモニーが開かれるのだ。
そしてコーヒーを淹れるのは女性の仕事らしい。



レクチャー終了後、学長以下一同より民族衣装を贈られた。
どことなくアイヌの衣装と似ている?
自分がどう見えているかわからないので、不安げな表情の私(苦笑)。



ちなみにこの民族衣装は、マイクロ・ビジネス・カレッジがある
オロミア地方のものだそうだ。



エチオピアの女学生たちと。
皆さんスラリと背が高く、とてもスタイリッシュ!
5月27日(水)
第二回・第三回講義(国立アンボ大学)


 今日は特別講義第二日目。午前中は国立アンボ大学生物学部の主催で、「「モッタイナイ」とその先にある「3つのR」―日本の小学生による毎日の全校清掃を例に」のテーマまで講義。

 午後は同大学経済学部の主催で、「継承することの大切さ―世界最古のロイヤルファミリー・企業・ホテルに見る日本的マネージメント」のテーマで講義をした。

 午後の講義の中で日本の「横並び」のこと、「みんながやるなら自分もやる」的な日本人のメンタリティについて話したところ、聴講者から「エチオピア人も全く同じ」という反応があったのには驚いた。

 もう一つの驚きは、アンボ大学におけるインド人教授率の高さだ。学部を問わず、教授、准教授、講師の多くがインド人で占められている。他の国立大学も似たような状況であると聞いた。

 ちなみにエチオピアでは、建築現場は中国人に完全に押さえられている。インドが教育部門、中国が建築部門を押さえ、棲み分けていることを知ったのが、実は今回の滞在中で一番勉強になったことだったりする。

 ちなみにエチオピアで日本人はほとんど見かけなかったが、道を走っている自動車の大多数はトヨタ車であり、その存在感は絶大であった(二番目に多く見かけたのはいすず車)。
 
講演会場となったエチオピア国立アンボ大学の
大講堂入り口付近の風景。



レクチャー開始前の「国歌演奏」のひととき。私の隣は学長。



アンボ大学にて。ちなみに午前中の講義のテーマが
「もったいない」だったため、私は古い祖母の着物をリフォームして
仕立て直したチベットドレス(ダライ・ラマ法王に初めてお目に
かかった際に着用したもの)をまとっている。



講義終了後、学長から感謝状をいただく。
午後は同じ会場で経済学部主催の講義が行なわれた。
5月28日(木)
学長たちとのピクニック+温泉体験


 3回の特別講義を終え、今日はアンボでピクニックと洒落てみた。参加メンバーはマイクロ・ビジネス・カレッジのアベラ学長とシバクマール氏、アンボ大学准教授のアキーラ先生、ロイ先生、ディープシカ先生、私。6人のうちエチオピア人は唯一人(アベラ学長)で、あとは私を除く残り全員がインド人であった。さすがと言うべきか。

 原生林へは自動車で行ったのだから厳密には「ドライブ」だと思うのだが、アベラ学長が楽しそうに「ピクニックだ」と言い張るので、ピクニックと定義することにした(笑)。

 ここでは何と言っても村の子ども達と遊んだことが一番の思い出。カメラには興味津々で、写真を撮ろうとすると緊張気味に直立不動になったりしていた。また、彼らの足の速さには舌を巻いた。こちらは自動車で時速40~50キロで走っているというのに、にこにこ笑いながらピタリと真横を伴走して来るのだ。全くもってアベベ並みだ。

 ピクニックを終えて街へ一旦戻ったあと、夕方からはアベラ学長の長男ネビユさん(お医者さん)の案内で街一番と評判の温泉へ。写真を見ていただければ説明の必要はないと思うが、日本の常識で考える温泉とはかけ離れた場所であった。 

TOYOTAのバンで「ピクニック」。
ちなみにエチオピアの道路はTOYOTA車で溢れている。
TOYOTAの次によく見かけたのはISUZUの車。



ピクニック中の(左から)アンボ大学のロイ先生、
マイクロ・ビジネス・カレッジのアベラ学長、私、アンボ大学のアキーラ先生、
アンボ大学のディープシカ先生(Photo by シバクマール氏)。



ピクニックで訪れた村の子ども達と。



撮ったばかりの自分の写真を見て大喜びの子ども達。



村の子ども達と。
背後にある植物は「フェイクバナナ」の木。
どこの家にも必ずあり、根の部分を食用にできて
「家計の足しにもなる」のだそうだ。



村の子ども達と。
1930年代~40年代に5年間だけイタリアに
統治された名残りなのか、別れ際に全員が
「チャオ!」と手を振っていたのが印象的だった。



泥で濁った滝。この水が流れ流れて、やがて
エジプトあたりで「ナイル河」に合流するのだそう。



「危険」の立て看板だそうだが、それにしては
可愛らしすぎて緊迫感がない(汗)。



ピクニックからの帰り道に見かけた「葉っぱ」
即ち麻薬の店。「度が過ぎると気が狂う」
にもかかわらず合法だとか。くわばらくわばら。



アンボはミネラルウォーターで有名。
市内には「温泉」もあるというのでやって来た。
この温泉施設はすべて個室。
この日の待ち時間は1時間で、入湯料は50円弱だった。



一人が使い終わるたびに掃除が始まる。
ドアが開いていたので中を覗いてみた。
階段を下りたところが温泉だそうだが……えっ、これが?



奥から見た部屋の様子。
なぜこんな細い通路(写真右)を通らねばならないのか
意味不明な上、どこからどう見ても温泉には見えない。



階段の下にこのような洗い場があった。
浴槽はなく、蛇口から湯が出ているのみ。
足場(白い円形部分)が滑って危ない!
お湯はぬるかった。手を洗っただけで退散。
5月29日(金)
聖マリア教会+エチオピア駐在日本大使を表敬訪問+前大統領主催の晩餐会


 今日も引き続きアンボを探索。「教会を見学したい」と頼んでおいたところ、学長がマリアム教会(聖マリア教会)へ連れて行ってくれた。しかし頭からかぶる大きな白い布を持っていなかったわれわれは、教会の中へ入ることを自粛した。

 ちなみにここでは白い布さえあれば、下に何を着ていてもフォーマルというか宗教的に礼儀正しい姿になるらしい。次回は忘れずに持参しよう。

 午後からはエチオピア駐在日本大使閣下を表敬訪問。

 夕刻からはエチオピア前大統領であるギルマ・ウォルドギオルギス・ルチャ閣下の公邸に招かれた。まずは今回の特別講義に関する記者会見(新聞社とテレビ局が来ていてびっくり!)が開かれ、つづいて前大統領主催のディナーとなった。わざわざ庭にテントを張ってもてなしてくださったことに感激した。

 前大統領は既に90歳を超えておられ、車椅子に乗っていらっしゃったが、たいへん頭が冴えていらっしゃった。隣の席に座った私に、

「私はこれまでに世界中あちこちへ行ったが、まだ日本と中国へは行ったことがないんだよ。中国はその頃ビザが下りなかったし、日本は物価が高くてね」

と笑いながらおっしゃっていた。
 前大統領とは、このほかにもいくつか日本に関する話をしたのだが、ブログで公開してよいかどうかわからないので自粛しておく。
 
聖マリア教会にて。
頭を覆う白い布を持って来るのを忘れた我々は入館を自粛。
(左はマイクロビジネスカレッジのアベラ学長、
右はアンボ大学のアキーラ先生)



教会の屋根に取り付けられたスピーカーを通じて
お説教を聞く信者たち。



教会の入り口付近では聖母子の絵など
さまざまな宗教グッズを販売していた。



観光と観光の合間にエチオピア航空オフィスへ。
この航空会社では今もチケットのリコンファームが必要なのだ。
電話が通じないので直接オフィスへ行き、1時間以上待たされてリコンファーム。



日本大使館にて。
(左から)私、マイクロビジネスカレッジのシバクマール氏、
鈴木大使閣下、マイクロビジネスカレッジのアベラ学長、
アンボ大学准教授のアキーラさん、アベラ学長令嬢。



元エチオピア大統領のギルマ博士と(公邸にて)。



記者会見にて、テレビと新聞の取材を受ける
ギルマ元大統領(左)と私。右はアベラ学長。



記者会見を終えて食事中のギルマ元大統領と私。
5月30日(土)
三位一体教会+博物館めぐり+カルチャーショー


 昨日に引き続きアジスアベバの市内観光。まずは三位一体教会へ。ここはエチオピアのラスト・エンペラーと妃の御遺体が納められていることで知られるが、数々のステンドグラスが何と言っても素晴らしかった。

 このあと国立アジスアベバ大学の資料館でエチオピアの近現代史に関する資料を閲覧し、さらに国立博物館に展示されている320万年前の成人女性(厳密にはアファール原人のメス)であるルーシーの化石(石膏模型)と対面。

 アジスアベバ最大の市場であるマルカートにも立ち寄ったあと、夜はアベラ学長らと合流。伝統的なダンスを見ながら食事が楽しめるというレストランに連れて行ってもらった。

 今日もシバクマール氏とアキーラ先生(共にインド人)が主にアテンドしてくれた。この二人と毎日一緒にいるため、自分がエチオピアにいるのかインドにいるのか時々わからなくなった(苦笑)。
 
三位一体教会の内部。
天井付近に掲げられた絵の中で、神とイエス・キリストと
精霊は、全て同じ老人の姿で表わされている。



同教会にはたくさんのステンドグラスが。
これはアダムとイヴによる「原罪」を描いたシーン。



三位一体教会の外で、
アンボ大学准教授のアキーラさんと。



エチオピア最大の国立大学であるアジスアベバ大学の正門にて。



アジスアベバ大学の歴史資料館にて、
エチオピアの近現代史に関する調べもの。



国立博物館の横には「ルーシー」の名前を冠した
洒落たレストランができている。
シバクマール氏+アキーラさんと「ルーシー」でランチ中。



同じく「ルーシー」レストランにて。



こちらは夜に行ったレストラン。
民族的な音楽と踊り、そして伝統料理を楽しめるとのこと。
「村祭り」に招かれて行ったような素朴な味わいがあった。



こちらはハニーワイン。普通のワインより遥かに甘く
飲みやすいが、アルコール度が相当高いものもあるので
気を付けなくてはいけないらしい。
ボトルに直接口を付けて飲むのが正しい作法だそうだ。



一般的なプレート。基本的には肉料理がメイン。
私はベジタリアンプレートを注文した。
5月31日(日)
インド料理+アベベ選手のお墓詣り


 朝は街のコーヒーショップで淹れたてのコーヒーを飲む。こうして単にコーヒーショップでコーヒーを飲むことも「コーヒー・セレモニー」と呼ぶらしい。儀式(セレモニー)という言葉の持つ意味が日本とはだいぶ違う。

 昼はシバクマール氏とアキーラ先生の主催による食事会。会場はアジスアベバで一番人気のインド料理店だとい聞いた。評判に違わずハイクォリティな店だった。

 ランチのあとは、「エチオピアで絶対にすべきこと」の一つ、アベベ選手のお墓詣りを決行した。アベベ選手といえばローマオリンピック(1960年)と東京オリンピック(1964年)の二回連続、マラソンで優勝した伝説の選手である。エチオピア皇帝の親衛隊であり、裸足で走るスタイルで知られた。人生後半は悲劇続きだったようで、37歳で交通事故に遭い下半身不随、41歳で脳出血により逝去。砂っぽい墓地の中にぽつんと立つ等身大の像が、どこか荒涼たる雰囲気を醸していた。

 夜はホテルのヘルスクラブでスウェーデンマッサージを受ける。
 
エチオピアのコーヒーショップ。
朝から大勢の人で賑わっていたが……女性は私だけ!



シバクマール氏とアキーラさん(左の2人)主催の昼食会
@アジスアベバ市内のインド料理店。
一番奥は、別の私大の学長さん。
黄色いTシャツの男性はアベラ学長のご長男(医師)。



東京オリンピック金メダリスト(1964年)でマラソン選手の
アベベ・ビキラ氏が眠る聖ヨハネ教会。



アベベ・ビキラ氏の墓と、その上に飾られた等身大の像。



宿泊中のギオンホテルにはプールやジムも完備している。
今日はマッサージに初挑戦!
(スウェーデン式マッサージ40分+シャワー付きで850円!)
6月1日(月)
コーヒー工場+織物工場+エチオピアのユダヤ世界


 今日は英国紳士のジェラルド博士と、そのご友人でエチオピア人弁護士のシフロー氏に連れられ、よりディープなアジスアベバを訪ねてきた。前半は無料病院やコーヒー工場などの見学に始まり、後半は古代ユダヤが連綿と継承されているという不思議なコミュニティを訪問。

 エチオピアというのは実に不思議な空間だ。例えばここにはアフリカで唯一の独自の文字がある。文明は極めて古く、イスラム教が支配的なアフリカでは珍しく、国民の多くはキリスト教徒である。ソロモン王とシェバの女王のロマンスで知られる「古代ユダヤとの縁」は今日まで廃れていない。

 ちなみにジェラルド氏は“Voice of Israel”(イスラエルの国際ラジオ放送民放局)の中心メンバー。シフロー氏はエチオピア法曹界の中心人物の一人。彼らとは、実は2日前に偶然知り合ったのだ。今回も、例によって運が良かったとしか言いようがない。
 
コーヒー工場にて。
左からジェラルド博士、工場主の息子さん、私、シフロー氏。



コーヒー工場の内部の様子。
豆を選り分ける基本的な工程は機械で行なっている



最後は人間の目と手で豆を管理・調整しているようだった。



エチオピアの木綿織物の大部分はこの地方で
生産されているそうだ(ジェラルド博士・談)。



エチオピアの織り物は伝統的に男性の仕事だそう。
この工場は政府経営で、職人が個人で織機を借りられる。
織機1台込みの使用料は1か月100円以下と格安だ。



陶芸は伝統的に女性の仕事だという。
これは作りかけのコーヒー用ポット。
エチオピアのポットの90%はこの町で作られている由。



街の奥まったところまで入って行くと
、突然、エチオピア国旗とイスラエル国旗が
並んではためく光景が目の前に現われた。



建物の中に入れてもらったところ、室内はこのとおり
「ユダヤ」一色であった。この先に関しては、またいつかどこかに
書くかも知れない。今日はここまで。
6月2日(火)
最後のコーヒーセレモニー


 ついにエチオピア最終日。初日にコーヒー・セレモニーをしていただいたのと同じ場所(アベラ学長の御母堂宅)にて、さよならコーヒー・セレモニーの席を設けていただいた。

 エチオピアから帰国した後は、山のように溜まった仕事(主としてインド関係の執筆と講義)に取り掛かっており、ゆっくりエチオピアを思い出す暇がないのがとりあえず残念である。

 エチオピアに関しては、いずれ人生のどこかでゆっくり落ち着いて再訪し、できれば小説の中に登場させたいと思います。『夜明けの晩に』の続編をいつか書く日が来るとすれば、それはエチオピア絡みになるのかも知れません。

 とりあえず今日のところは、以上、簡単なエチオピア滞在の記録(覚え書き)を残すに留めることを何卒おご寛恕ください。乱筆乱文にて。

今回最後のコーヒー・セレモニー。学長のお母さま宅にて。
エチオピアはまさに「コーヒー・セレモニーに始まり
コーヒー・セレモニーに終わる国」なのであった。



  エチオピア訪問記念に購入した絵画5枚。
すべて山羊皮の上に描かれているのが特徴。
左上は「最後の晩餐」だが、ショートヘアのイエス・キリストは初めて見た。
それにしても最後の晩餐のメニューがエチオピアのインジェラ(パン)とは!
追記: なお6月30日の信濃毎日新聞(第11面 文化欄)に私のエチオピア行きの記事が載りましたのでお知らせいたします。 

 (※写真クリックで拡大画面をご覧になれます)
 ▼・ェ・▼今週のブースケ&パンダ∪・ω・∪ 


エチオピア土産のコーヒーポットと
微妙に色がマッチしているブースケ

(※前号までの写真はこちらからご覧ください)
事事如意
2015年6月27日
山田 真美
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