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2017年9月27日号(第589号)
今週のテーマ:
3年目のIITハイデラバード〈Part 3〉+ナマステ・インディア
※〈Part 1〉はこちらから、〈Part 2〉はこちらお読みいただけます。

9月11日(月)

 私が泊まっている宿舎から食堂までは、小道を歩くこと約5分。
 牛と野良犬があたりを徘徊し、稀にですが藪の中からいきなり孔雀が姿を現わすことも。

 このあたりは女性も男性も穏やかで、なかなかよく働くという印象。
 (物乞い、ホームレス、昼間から路上で遊んでいるような人は全く見かけません。)

 ちなみにインド全体ではヒンドゥー教徒80%強&イスラム教徒約15%のところ、ハイデラバードはヒンドゥー教徒60%&イスラム教徒30%強と、目に見えてイスラム教徒が多い土地柄です。

 写真の女の子たちはヒンドゥー教徒とイスラム教徒ですが、毎朝仲良くこの小道を一緒に連れ立って職場へ向かっていました。

 仲良きことは美しきかな♪

私の宿舎から食堂へと続く小道にて。



教授用の食堂にて。今日のおやつはサモサとチャイ。
 9月12日(火)

 宿舎ではこのところ、よく停電します。
 基本的に私はここ(宿舎)で仕事の準備をしますので、ハッキリ言って停電は困ります。

 発電機があればよいのでしょうが、私が暮らしている棟はほかの教授たちが住まわっているメインの棟から徒歩5分ほど離れた陸の孤島。発電機はなく、停電したら「はい、それまでよ」。

 とは言え最近の私は寛大です。「怒り」の感情なんてカケラも湧いて来ませんし、次第に悟りの境地に近づきつつあるのかも知れません、ええ(笑)。

 写真は今日の朝食です。食べ物は何もかも茶色いと感じる今日この頃。
 意外に美味しいんですけどね。写真で見るとただただ茶色い。
 
朝食です。何か色彩がほしいところ。
 9月13日(水)

 インド工科大学の学生たちに誘われて、今日は近所の小学校(いわゆる貧困層の子女が通う無料の学校)を見学してまいりました。

 突然のことで何の準備もありませんでしたが、日本から持ってきた荷物の中に折り紙がありましたので、とりあえずみんなで折り鶴を折ってみることにしました。

 現場では小学生たちから日本に関する質問の嵐。

日本の歌ってどんな感じですか?」

という質問には、言葉では答えようがありませんでしたので『さくらさくら』を歌唱するハメに(ヘタでゴメンナサイ)。すると、

「すごく寂しそうな歌ですね」

という感想がほぼ全生徒から返ってきました。インドには陰音階/陰旋律の歌なんてないのでしょうか!?

 小学校視察後は大学へ直行。今日の授業では、これまでと趣向を変えてカウラ事件に見る日本人の考え方、特に「誇りと恥の感覚」について講義してみました。

 結果は想像以上に上々。

今日のテーマはたいへん良かったです」

とわざわざ伝えに来てくれる学生たちもいて、どうやらカウラ事件は思いがけないほどインド人の心の琴線に触れるテーマだったようです。

やっぱり茶色い今日の朝食。



近くの小学校を訪問、各学年の子どもたちと交流しました。
白い制服が清楚なイメージ。女子は髪型もおそろいなんですね。
三つ編みを輪にしていて、なんだか古代日本の角髪(みずら)みたい!



記念品までいただいてしまいました。



校長室にかかっていた偉人のポートレート。左から、
スバース・チャンドラ・ボース、アンベードカル、ヴィヴェーカナンダ、
初代ネルー首相。そして女神さま(ラクシュミー=吉祥天)までが
偉人と並んでいるところが、さすがインドです!



校長先生(私の向かって右隣)ほか先生方と記念撮影。
後列はインド工科大学の学生たち。彼らは毎週ここに来て、
ボランティアで勉強を教えている由。立派ですね!



今日の授業ではカウラ事件を取り上げてみました。



カウラ事件から日本人のメンタリティーに切り込んで考えます。



いつになく真剣な表情で教壇を見つめる学生たち。
TA(teaching assistant=授業助手の博士課程学生)が
気を利かせて写真を撮っておいてくれました。



同上。



授業が終わるや大勢の学生が質問や感想を述べるためにやって来ました。
この積極性、日本の学生たちに是非とも真似て欲しいものです。
 9月14日(木)

 インド工科大学ハイデラバード校は日本とのつながりがとりわけ強い大学です。今年度は25人の学生が日本の大学院へ進学した由。この数はインドの全大学の中で最多だそうです。

(↑後日談ですが、このことをデリーの某名門大学の学生たちに話したところ、「そんなに多いんですか、ハイデラバードは……」とショックを受けてらっしゃいました。)

 さて今週は東京大学から教授と学生さんたちが来印なさっており、今日はインド工科大学との共同ワークショップが開催されました。
 私もなぜか急きょ参加することになり、両大学の教授と共にセミナー講師を務めてまいりましたよ。

 とは言え私はバリバリ文系(≒場違いな存在)ですので、開き直って好き勝手な発言をさせていただいたのです。にもかかわらず司会の片岡広太郎先生からは

"I think that's the perfect answer."

とお褒めの言葉をいただいてしまいました(汗)。

 私はただ、「世界中のあらゆる場所に、性別や宗教や言語や年齢と言ったものを超越して、たくさんのよい友達をつくること。それがいちばん大切なことなんじゃないでしょうか」と、幼稚園児でもわかるシンプルな話をしただけなのですが。

 それにしても、私のような者にも教える機会を与えてくれる、つまりバリバリ理系の教育研究機関でありながら文系脳も大事にしてくれるインド工科大学というところは、やはり凄いなと思います。

 夜は2015年度に私のクラスを履修してくれた学生たちと夕食会。彼らは来年で卒業です。つまり彼らに教えるのは今年度が最後というわけ。彼らの成長は嬉しいけれど、同時に、ちょっぴり寂しいですね。

 彼らのうち1人は東大(院)への留学を希望しています。
 ぜひ頑張って入ってほしい。日本での再会を今から楽しみにしています。

"IITH - University of Tokyo Student Workshop 2017"と銘打たれた
ワークショップにて。左から司会の片岡広太郎先生(IIT-H准教授)、私、
東大のスッパキットパイサーン・ウォラポン先生と須田礼仁先生、
インド工科大学のR.ウパドラスタ先生とM.V.P.ラオ先生。



2015年に私の授業を履修してくれた、いわば「元祖・教え子」たち。
本当はもうひとりラフルさんという男子がいるのですが、今日は欠席。
みんな日本へおいで。待っているよ~♪
 9月15日(金)

 今日は2017年度の最終授業。日本から持ってきた大量のお土産を消費するため、日本に関するクイズ大会をして賑やかに過ごしました。

 正解者は日本でしか手に入らない品をもらえるというわけで、結構本気のバトルが繰り広げられた次第です(笑)。

 ちなみに今年度の授業では、特に「日印関係史」を取り上げました。試験はしないのが私の流儀で、かわりにレポートを提出してもらい、それをもとに成績をつけます。

 レポートの課題は「日印関係に寄与した歴史上の人物(A)をひとり選び、さらに架空の人物(B)をひとり作り上げて、Bの目を通して見たAの活動内容ならびに日印関係の重要さを述べなさい。人まねをせず、オリジナリティのある物語を紡ぐこと。締切は厳守すること」というもの。

 文字数制限は英語で1000ワード以内。お蔭でなかなかの大作が集まりました。

 面白かったのは多くの学生から、

1000ワードでは短すぎます! もっと長く書かせてください!

という嘆願があったこと。これに対して「短くしてほしい」という申し出は一つもなく、さすがは長大な『マハーバーラタの国』だけのことはあると感心した次第です(嘆願は却下しましたけど(笑))。

 また、締め切りの期限(9月13日)を守らなかった学生には厳しいペナルティ(大きな減点)を課しました。日本人の国民性(?)である「時間厳守」を教えることも、日本文化を教える者の義務だと思いましたので。

 172人の学生たちが書いてくれた172本のレポートは非常に意義深いものですので、これらをもとにインド工科大学の学生気質を改めて深く分析してみたいと考えています。しばしお待ち下さい!
 
最終講義終了後、インド工科大学ハイデラバード校にて。
授業が長引いたため一部の学生は既に帰ってしまってからの写真
撮影となりましたが、なんだか皆、本当に楽しそうでした。
 9月16日(土)~18(月)

 16日の朝のフライトでハイデラバードからデリーへ飛び、出迎えてくれた若者(デリー大学博士課程の学生)の案内でそのまま国際学術会議の会場へ連行されました(苦笑)。

 その後の3日間は早朝からアカデミックなセッションが連日延々と続くというハードなスケジュール。

 会場はインドを代表する老舗大学であるデリー大学(UD)とジャワハルラール・ネルー大学(JNU)です。

 1日目は国際学術会議"International Conference on Japaese Literature"(主催・日印文学文化協会)で「三島由紀夫の遺作に残されたインドの足跡」のタイトルで発表してまいりました。
 三島に関する発表はこれで人生二度目ですが、お蔭さまで二度とも高く評価していただきました。それだけ「三島とインドの関係」の研究が未開拓分野なのでしょう。

 2日目は日本文学の朗読と解説。夏目漱石の『夢十夜』などを朗読、解説したあと、

「山田先生。できましたらご自身の作品もぜひ紹介してください」

というリクエストがありましたので、以下の2冊から抜粋して朗読・解説してまいりました。

 *『インド大魔法団』の一節
   (話せないはずのベンガル語がいきなりわかるようになったマジックショーでの不思議な出来事)
 *『運が99%戦略は1%…』の一節
   (旧姓が鈴木であると告げた途端に自動車会社のスズキの会長の姪に間違われた話)

 3日目は「インドにおける日本の神々」をテーマに講義。受講生が日本語上級者(大学院生)のみということでしたので、ここでは「アマテラスはなぜイザナギの左目から生まれたのか」「古代日本においてなぜ左が右よりも上位であったのか」等々、ハイレベル、と言うかかなりマニアックな話をしてまいりましたよ(笑)。

 アカデミックセッションが終わった夕方からは連日市内に繰り出し、友人に会ったり、お寺めぐりなどをして過ごしました。

1日目の国際学術会議(デリー大学にて)。
私の向かって右隣はデリー大のウニタ・サチダナンダ先生。
かれこれ25年来の友人です。



私が「ブラザー」と呼ぶラリット・バクシ氏とも再会。
カメラのシャッターを押してくれているのは、拙著にも幾度か
登場した友人の「元ヒンドゥスタン・タイムズ編集長」です。



2日目の日本文学朗読・解説セッション(ジャワハルラール・ネルー大)。



手元にあったこの2冊を朗読、自己解説。



3日目のセッション。マニアックなまでにディープかつハイレベルでした(デリー大)。



セッション終了後、サチダナンダ先生と一緒に
デリー市内のバイラバ寺へ。



バイラバ神は破壊神シヴァ神の最も恐ろしい化身。
乗り物は黒い犬とされ、寺院の入口には狛犬ならぬ黒犬が。



バイラバ神へのお供え物はアルコールと決まっています。
アルコールに厳しいインドで、これは非常に例外的。
この人のように瓶ごと供物として持っていきます。



境内の隅には酒の空箱が捨ててありました。



こちらがバイラバ神の像。
信者が持ってくるアルコールを司祭が受け取って
像の上にジャバジャバかけていました。



こちらも別室にあったバイラバ神。
周囲が濡れていませんので、こちらの像には
アルコールをかけないようですね。
 9月19日(火)

 インド最終日。デリーは最高気温39℃に達し、まるで夏に逆戻りしたような気候でしたが、20年前に子どもたちが一緒のアメリカンスクールに通っていたママ友であるスシマのお宅に前夜から泊めて頂き、山と積もったガールズトークで元気回復。

 ふたりで幾つかお寺めぐりをしたあと、勢いで布を買いに行き、そのまま仕立て屋さんに飛び込んでインド服を2着とバッグをひとつ仕立ててもらいました。

 帰り(東京行き)のエア・インディアは夜行便。デリー空港で少し時間があったので、迷わず空港内のマッサージパーラーへGO! 発着する飛行機を見ながら全身をくまなく揉んでもらうという贅沢な時間を過ごしました。

20年来の「ママ友」であるスシマと。



デリー市内のロータス・テンプルを見学。
ここはヒンドゥー教ではなくバハーイー教(※)のお寺です。
※イラン系の一神教、世界宗教。本部イスラエル。



生地屋さんに飛び込み、サルワールドレス(民族衣装)2着分の
生地を買いました。あとは仕立て屋さんに飛び込むのみ。



デリー郊外グルガオンの街角にて。



今回はデリーで「Chai Why」という可愛い雑貨シリーズに一目惚れ。
片端から(と言っても、たいして種類がないのですが)買い込みました。



こちらは孫娘へのお土産。バービーの妹、ケリーちゃんです。
サリーをまとっています。もちろんマテル社の正規品ですよ。



デリー空港内のマッサージパーラー。
実は毎回立ち寄っている「気に入りの場所」です。
 9月24日(日)ナマステ・インディア

 インドから戻ったあとは、休む間もなく、週末に開催されたナマステ・インディア2017(日本最大級のインド祭)でトークしてまいりました。テーマは『インド工科大学の学生たちと訪ねるインド神話の世界』。

 情報はフレッシュなうちにシェアできればそれに越したことはありませんよね。
 その意味で、今回のハイデラバード情報をお話するには実にグッド・タイミングなナマステ・インディアでした。

 ご来場くださった皆さま、本当にありがとうございました。

 とりわけ日印協会顧問の三角佐一郎さん(101歳)が会場の片隅で最初から最後まで私の拙い話にじっとお耳を傾けてくださいましたことに心から感謝いたします。

 三角さんは戦前からインドの専門家(第一人者)であり、第二次大戦中には来日したスバース・チャンドラ・ボースのアシスタントを務め、戦後も日印友好を推し進めてインド政府より勲章(パドマ・ブーシャン)を受勲なさった大先達。

 101歳になってもシャンと背筋の伸びたお姿から、私もさらに多くのことを学んでゆかなくてはと強く思いました。

ナマステ・インディア2017のフライヤー。



トーク中のひとこま。インド工科大学の数学の教授いわく
「哲学のない人間が数学をやっても何の意味もない」。
この厚み・深みがインドの強さですね。



101歳の三角佐一郎さんと養女の洋子さん。 
毎年のようにトークを聞きに来てくださいます。感謝。
 というわけで今回も無事に使命を全うすることが出来ました。

 この間、さまざまな形でご協力くださいました関係者一人一人の皆さまに、深く御礼申し上げます。

 ありがとうございました
 ▼・ェ・▼今週のクースケ∪・ω・∪ 


生れて初めて年下の女の子とデート♪
鶏を眺めながらしっぽりしております。
この恋の行方やいかに!?

(※前号までの写真はこちらからご覧ください)
事事如意
2017年9月27日
山田 真美
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