http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100107-OYT1T01164.htm




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2010年1月6日号(第370号)
今週のテーマ:
子どもへの体罰の是非と誤訳の功罪
★ 仏教エッセイ ★
真言宗のお寺・金剛院さんのウェブ上で『仏教一年生』と題したエッセイを連載中です(毎月28日頃更新)。第21回のテーマは「4億年の引きこもり」です。左のロゴをクリックしてページに飛んでください。
 新年早々、インターネットのニュースサイトで、少なからず憤りを感じる記事を目にしました。
 日本最大のソーシャルネットワーキングサービス(SNS)mixiのニュース欄に掲載されていた、

 小さい子どもを叩くしつけも必要?
 米調査で「良い子に育つ割合が高い」


というトンデモないタイトルの記事がそれです。

 それによれば、米ミシガン州のカルヴィンカレッジのマージョリー・グノエ教授が、

★子どもの頃に全く叩かれたことがない人は、叩かれた経験のある人に比べあらゆるポイントでほかのグループより悪い結果になった。
★子どもの頃に全く叩かれたことがない人は、反社会的行動早めの性交渉暴力うつなど、何からの精神的な問題を抱えやすい。
★子どもの頃に叩かれた経験のある人は、将来設計や生活力、大学での向上心やボランティア作業など、多くの能力に信頼が見られた。

 ……との研究結果を発表した由。

 まるで暴力を礼賛しているとしか思えない横暴な書きっぷりで、ここまで読んだだけで、体罰反対派の私などは怒りを禁じ得ないのですが、記事にはまだ続きがありますので、詳細は下の画像をご参照ください。


[この記事のソースはhttp://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1068741&media_id=84]
 これを読んですぐに私が思ったのは、

(このタイトルは絶対に誤訳のはず。まともなアメリカ人なら、こんなふうに体罰を肯定するはずはないから、「叩(たた)く」の原文は「spanking」だったのでは?)

ということでした。

 Spanking(スパンキング)とは、しつけのための「お尻ペンペン」を示す英語で、それ以外の箇所を叩くことではないのです。

 それというのも、お尻は少しぐらい叩いても命に別状ありませんし、叩かれたことの恥ずかしさは格別なので、小さな子への「しつけ」の意味で効果があるとされているからです。

 元記事に当たって調べようとしたところ、驚いたことに、この(日本語の)記事にはオリジナル記事のURLが明記されていないではありませんか。(それ自体、とんでもないことです!)

 仕方がないので、「Calvin College」「spanking」などのキーワードでGoogle検索してみたところ、ありました、ありました。「ザ・タイムズ」(英国)をはじめ、世界中のメディアに該当記事が載っていましたよ。

 それらを隈なくチェックしたところ、私が予想したとおり、グノエ教授が使用した用語はspanking(スパンキング)で間違いないようです。
[下] グノエ教授の発言が読める新聞記事の一例。タイトルも"Is spanking children OK?"
(子どものお尻をペンペンすることは是か?)となっています(カラー写真がグノエ教授)


 同記事によれば、グノエ教授は10年以上にわたってスパンキングの研究をしている(Gunnoe, who has studied spanking for more than a decade...)ということですから、彼女はスパンキング専門の研究者なのでしょう。

 さて、ここでハッキリさせておきたいのは、英語には日本語の「叩く」に近似する意味の単語が数多く存在するものの、それぞれには、より具体的な意味があるということ。

 たとえばspanking(スパンキング)は「素手でお尻を叩く」という意味ですが、slap(スラップ)やsmack(スマック)は「素手で平手打ちする」(叩く場所は頬や手の甲やお尻など多岐にわたる)、flap(フラップ)は「平らな物で叩く」、paddleなら「(素手でなく)ヘラ状の物で叩く」ことを意味します。

 さらにbeat(ビート)になると「殴る・殴打する」という物騒な意味に到達し、もはや「叩く」の範疇ではありません。

 つまり、ひと言で「叩く」といっても英語表現は多岐にわたるわけ。

 そして(ここがいちばん大事なところなのですが)、グノエ教授はあくまでもスパンキングという言葉しか使っていないんですよね。

 また、原文には「children who remember being spanked on the backside with an open hand do better in school」 とあって、「広げた手の平でお尻を叩かれたことを記憶している子どもたちは、(そうでない子たちに比べて)学校の勉強も良くできる」とも明言しています。

 それを単純に「叩く」と邦訳してしまうとは、なんと無責任な!

 この記事を読んだ人が、「叩く」という曖昧な表現を鵜呑みにして子どもの頭や顔や腹部を叩いたら、あるいは棒などの道具を使って叩いてしまったら、しつけどころか、それは明らかな体罰(暴力)です。生命にも影響しかねません。

 さらに、「良い子」という日本語に訳された元の言葉は「well-adjusted」で、「良い子」というよりむしろ「適応力のある子」の意味。このほかにも、気になる間違いをいくつか散見しました。

 子どもたちの生命・人生に影響を及ぼしかねない内容の記事には、誤訳があってはいけません。その意味で、書き手の責任は重い。

 また読み手の側も良い記事とそうでない記事を判断する力が必要とされると、改めて痛感しました。

 私の個人的な見解を付け加えさせていただけるならば、スパンキングの長所のひとつは「叩く側と叩かれる側が目を合わさずに済む」ことだと思います。
 子どもにしてみれば、怒っている顔の親を見ずに済むので、親の言葉とお尻の痛さだけを実感することができますし、親のほうも必要以上に感情的にならずに済むかも知れませんから。

 とは言え、私自身は子どもたちを叩かずに育てました
 結果としては、(親バカかも知れませんが)ふたりとも素晴らしい人間に育ってくれたと思っています。

 残念ながら、冷静に子どもを叩ける親なんてほとんどいません。むしろ
叩いているうちに激高してくる親が少なくないように思います。その結果、「しつけ」のつもりで始めたことが、単なる体罰になっている場合を多く見かけます。

 
叩かれて育った子はやがて他人を叩くようになり、
愛されて育った子はやがて他人を愛するようになる。人間の心は、そういうふうにできているのだと私は思います。
▼・ェ・▼今週のブースケ&パンダ∪・ω・∪


ブースケだって話せばわかる

(※前号までの写真はこちらからご覧ください)
事事如意
2010年1月6日
山田 真美
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