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2012年3月28日号(第448号)
今週のテーマ:
日本オセアニア学会デビュー
★ 仏教エッセイ ★
真言宗のお寺・金剛院さんのウェブ上で『仏教一年生』と題したエッセイを連載中。第35回のテーマは「東日本大震災一周年に想うこと」です。左のロゴをクリックしてページに飛んでください。
  トークショーのお知らせ
『 ヒマラヤ最後の王国ブータンの魅力 ― 第5代ブータン国王ジグメ・ケサル・ナムギャル・ワンチュク陛下戴冠式見聞録』
★日時: 4月21日(土曜日)午後5時開場・6時開演
★会場: 戸隠高原「カフェ・チェンバロ」
★事前予約制です(お申し込みはチェンバロへ)
 (左の写真をクリックすると拡大画面をご覧いただけます)
 先週末は日本オセアニア学会(Japanese Society for Oceanic Studies)の第29回年次大会に出席すべく、倉敷へ行って参りました。

 記念すべき学会デビューとなる今回は、「『カウラ事件』とは何だったのか―日豪間の認識差と68年後の新証言をめぐって」のテーマで発表させていただきましたよ。

 発表の持ち時間は、ひとり15分
 実際に使った時間は15分02秒(と、秒単位まで正確に計測してみました(笑))。

 15分間なんて、普段ならコーヒーを1杯飲んでいるうちに終わってしまうような短い時間ですが、その間に「カウラ事件の概要」から「事件と発表者(私)の関わり」、「事件をめぐる言説とその周辺」、「最近のインタビューで明らかになった新証言の紹介」、「カウラ事件に対する日豪の認識差とその歴史的背景」、「オーストラリア人を対象に行なっているアンケート結果の中間報告」、「今後の研究課題」とまあ、詰め込めるだけ詰め込んでの怒涛の発表でございました。

 終了後、何人かの先生から激励とお褒めの言葉をいただき、ほっとした次第です。

 学会の様子がわかりましたので、次回は発言をもう少し短く、14分ぐらいに収め、残りの1分は質疑応答の時間に当てたいと思います(これが今回の反省点)。

 余談ながら、今回の「衣装」はちょっと渋めのオレンジ色のスーツにしてみました。やはり黒やグレーを着ているときに比べ、暖色はパワーが湧いてきますね。勝負カラーかも知れません、オレンジ色は私にとっての。次の学会でもオレンジ色を身に着けようと思った次第です。
   
(左)会場のすぐ外に広がっていた情緒たっぷりの風景 (右)会場入り口の看板



プログラムの目次で、「カウラ」が「カラウ」と誤植されていました(汗)



学会発表(全27ページ)のトップページはこんな感じ……


  
その夜は江戸時代から続く旅館御園さん(倉敷で最も古い旅館だそうです)に宿泊しました。
右は翌朝の朝食風景。山盛り(!)のご飯をおかわりし、隣の人から驚かれました(苦笑)
 こうして2日間にわたり全部で22の研究が発表されたのですが……このうちオーストラリア関係の研究を発表したのは意外にも私だけでした。

 残る21の研究は、西ポリネシアの海洋資源利用に関する研究、グアムとミクロネシアのそれぞれの遺跡に関する研究、石垣島のジオアーケオロジーの研究、フィジーの神話の研究、ソロモンの華人の研究、パプアニューギニアに関する研究が5つ、沖縄の移民研究、ツバルの伝承に関する研究、パラオの家族に関する研究、パラワンの農業に関する研究、フィリピンの家畜に関する研究、トンガに関する研究が2つ、ニュージーランド先住民の入れ墨に関する研究、サモアの障害者に関する研究、ニューカレドニアの慣習に関する研究。

 面白い研究のオンパレードで、「オセアニア」の守備範囲の広さをまざまざと見せつけられた感じでしたよ、ホント。

 学会が終わった後は倉敷駅近くのカフェで元捕虜のMさん(91歳)と合流。

 実は、Mさんと私は今年の5月に一緒にカウラへ行く計画を立てているのです。
 カフェでは、隣席の女子高生から驚きの眼差しを向けられたほどの巨大パフェを1人1つずつ食べながら旅の計画を練りました(再び苦笑)。

 捕虜になったとき、Mさんは陸軍一等兵でした。収容所における軍人としての身分は最下位。そのためか、当時のMさんは何が何だかわけがわからないまま暴動に加わったと言い、あの暴動が何だったのか、今もなお「よくわからない」まま生きている、そんな方です。

 最近、私はよくMさんとお会いするのですが、Mさんのカウラ理解は、ある意味において最もカウラ的と言えるのかも知れません。

 何故ならば、これまで紹介されてきた日本人捕虜達(南忠男・金澤亮・高原希國ら)が事件を起こした張本人だったのに対し、Mさんは一介の無名兵士に過ぎない。巻き込まれたという意味では「犠牲者」とも言えるでしょう。

 Mさんが未だにカウラ事件を理解できないというスタンスにこそカウラ事件の本質はあるのかも知れないと、そう感じることの多い今日この頃です。

 まあ、思えば私自身の心象風景としてのカウラ事件も、初めて事件と関わりを持った19年前と今とでは大きく様変わりしました。

 博士論文を書き終える頃までに、その心象風景はさらにどう変化するのでしょうか。
 自分にもまだわかりませんが、事件からの時間が経てば経つほど逆に核心部分に近づいてゆくような印象があるのは、この事件の摩訶不思議なところですよね。
 
今日(3月28日)の山小屋の風景。またしても大雪です。今年の冬はありえないほど長い!
  ところで、もうお気づきの方も多いかと思いますが、このところ「ブースケとパンダ写真館」にブースケが登場しておりません。これにつきまして一言ご説明申し上げます。

 実は、ブースケは今月7日に右目を負傷し、今は通院中の身の上です。

 ブースケが怪我をした瞬間の場面は誰も目撃していませんが、犯人は99%以上の確率でパンダであると思われます。パンダは以前から足癖が悪く、目の前にいる相手の顔を狙う悪い癖がありました。それも、前後の脈絡なくいきなり攻撃を仕掛けてくるのです(私も過去に何度かパンダに顔を引っ掻かれています)。

 ブースケはとても我慢強い子で、負傷しても一吠えもせず、机の下でうずくまって寝ていました(私達には顔を見せないようにして)。そのため、傷の発見が数時間は遅れたものと思われます。

(7日に診察してくださったお医者様が、「これは相当痛かったはずです。ブースケ君は本当に我慢強い子です!」と驚いていらっしゃいました)

 症状としては、右目の角膜表面に深い傷がついています。抗生物質と消炎剤(内服薬2種類と目薬2種類)を投与しており、ゆっくりとではありますが確実に快方に向かっています。

 ただ、今はまだ目の表面が真っ白ですので、当分は表舞台に出られません。

 ブースケファンの皆さま、そのような次第で暫く写真をアップできませんが、どうぞお許しください。
 今日は特別に私がブースケに変装した写真をお届けいたします。どうぞこれでご勘弁を(笑)。

 ではでは♪
 ▼・ェ・▼今週のブースケ&パンダ∪・ω・∪


ママリン、ブースケに変装の巻(爆)

(※前号までの写真はこちらからご覧ください)
事事如意
2012年3月28日
山田 真美
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