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2010年6月27日号(第389号)
今週のテーマ:
25年ぶりの友に逢う
★ 仏教エッセイ ★
真言宗のお寺・金剛院さんのウェブ上で『仏教一年生』と題したエッセイを連載中です(毎月28日頃に更新)。第26回のテーマは「空海さんの謎」です。左のロゴをクリックしてページに飛んでください。

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 アメリカ人と結婚し、今はシアトルに住んでいる純子ちゃんと25年ぶりに逢いました。

 純子ちゃんと初めて会ったのは、1982年、
私が22歳だった時のことです。
 春に明治学院を卒業し、その年の夏からオーストラリアに
留学することが決まっていた私が、その間の“つなぎ”にアルバイトで行った日本リクルートセンターという会社(現在のリクルート)でバッタリ出逢ったのが始まりでした。

 純子ちゃんはリクルートの正社員でしたが、なんだか
最初から気が合って、一言交わしただけであっという間に昔からの友達のように打ち解けたんですね。

 私がバイトをしていた期間は
わずか3か月だったというのに、一緒に遊んだり、悩みを打ち明けたり、箸が転げてもおかしい年頃ですから一緒に大笑いをしたり、兎にも角にも、とても3か月とは思えないほど濃密な時間を過ごした印象が残っています。

 思えばあの頃の日本は、
バブル前夜でした。
 みんな
ビックリするほど元気で、よく遊び、よく学び、威勢が良かった。

 特に当時のリクルートは、日本のありと
あらゆる会社のなかで一番元気だったんじゃないかな。
 社員のみならず
バイトにもボーナスが出ましたし、土用の丑の日には銀座の有名うなぎ店の食券が支給されたり(笑)、社員全員で海外旅行へ行ったのは、日本ではリクルートが先駆けなんじゃないでしょうか。

 会社自体の羽振りが良かったうえに、そこで働いている人達にも
とてつもない活気があって、みんな至極当たり前のように、

「いつかは
一国一城の主になる!

と、常に
上を上を目指していたんです。
 出来る人たちは、そうやってどんどん独立して会社を立ち上げて行きましたから、その後の日本社会で頑張っている人の中には、
リクルート出身者がかなりいるのではないかと思います。

 1日がむしゃらに働いても、まだ
エネルギーが有り余っているので、仕事を終えるとみんなで六本木や新宿あたりへドッと繰り出し、ディスコを2〜3軒ハシゴするのが当たり前でした。
 金曜日の夜などは、帰宅の足を確保するために1時間かけて
タクシー争奪戦をしましたし、タクシーが拾えなければ何キロでも平気で歩く体力がありました。

 あの頃の日本人は、信じられないほど
元気だった気がします。
 今の日本が
総「鬱」の時代だというのなら、あの頃の日本は総「躁(そう)」の時代だったのかも知れません。

 純子ちゃんとの想い出は、そういう明るくて強い
バブル直前の日本の、リクルートというとびきり元気な舞台を得て、特別に煌(きら)めいているのだと思います。
 ああいう場所、ああいう舞台は、今の日本ではもう見つけることが難しいかも知れませんが、
25年前の東京は、少なくとも純子ちゃんや私にとっては、まさにそういう場所だったのです。

 その後、私は
鯨の研究のためにオーストラリアへと旅立ち、その数年後には、純子ちゃんもアメリカの大学に留学。彼女はそこで知り合ったアメリカ人の男性と結婚され、ふたりのお子さんにも恵まれて、今は幸せにシアトルで暮らしていらっしゃいます。

 実は、私が1982年の7月末にオーストラリアへ出発する、まさにその前夜、私にとって
最後の東京の夜を一緒に遊んでくれたのも、ほかでもない純子ちゃんでした。

 当時の私は、オーストラリアで修士をやったあとはアメリカで博士課程を学びたいとも思っていましたから、
もう日本で暮らすことはないのかも知れないと、漠然と思ったりもしていました。
 そんな、まさに東京最後の夜、私は純子ちゃんと一緒に、

「これが東京の見納めだから、今までに
見たことのないモノを見学しておきたい!」

と、それまで一度も行ったことのない場所(新宿歌舞伎町の「
のぞき部屋」とか)へと繰り出したのでした。
 それも、本人達はあくまでもマジメそのものな
社会見学のノリで(笑)。

 お金を払って「のぞき部屋」へ入ったところ、そこで働いていた
ストリッパーのお姉さん達に何故か気に入られてしまい、

「アナタたち、ふたりとも
とってもいい子だねえ!」
留学がんばって!

と心から応援され、お金を全額返してもらった上に
ナントみんなで記念撮影をしたりして。
(※写真撮影の時は、さすがにお姉さんたちも服を着ていましたが(笑))

 ……青っぽくてバブリーで、だけど
すごくピュアでガーリーな、今も忘れられない思い出です。

 今回は、純子ちゃんがお子さん達を連れて
10日間だけ日本に一時帰国することになり、最後に逢った時(1984年か85年頃)から数えて実に25年ぶりで再会したわけなのですが、ドキドキしながら逢ってみたら、なんのことはない、純子ちゃんは25年前の純子ちゃんのままでした。

 まっすぐスクスク育った、素直で、賢く、思いやりのあるお子さん達(高校生)を見て、

(純子ちゃんは最高の女性になり、そして、
最高のママになったんだな)

と、私は自分のことのように嬉しく、純子ちゃんのような
一生ものの友達が持てたことに心から感謝したのでした。

25年ぶりに再会した純子ちゃん(右から2人目)と私。左のふたりは純子ちゃんのお子さん。
(※プライバシー保護のため子どもたちのお顔はヒミツですが、めっちゃ可愛い子達です)
 純子ちゃん、この次はもうちょっとゆっくりしたスケジュールで一時帰国してね。

 その時は一緒に、現在の歌舞伎町を見学しましょう(笑)。

 ではでは♪
▼・ェ・▼今週のブースケ&パンダ∪・ω・∪


おあずけ。「早く食べたい!」
(※前号までの写真はこちらからご覧ください)
事事如意
2010年6月27日
山田 真美
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