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2006年8月5日号(第229号)
今週のテーマ:
砂曼荼羅と空の思想
 7月22日から30日までの9日間、大本山護国寺にて開催いたしました「チベット砂曼荼羅ライブパフォーマンス ギュト寺院僧侶による砂曼荼羅とバター彫刻の制作展」は、お蔭さまをもちまして予想を遥かに上回る大盛況のうちに終了いたしました。

 これもひとえに皆様の温かいご協力の賜物と、心から感謝申し上げます。

 砂曼荼羅完成までのプロセスと、破壇の作法(はだん・の・さほう)によって壊された砂が川に流されるまでの一連の儀式の様子は、約2500年もの昔にお釈迦さまによって説かれた空(くう)の思想の真髄を知る上でも、また純粋にアートという観点からも極めて貴重なもののように思われますので、ここに、そのプロセスのすべてを記録いたします。

 この情報が、チベット仏教について知りたいと真摯に願う方々のお役に立てれば幸いです。

※イベントの詳細に関しましては、こちらのちらしをご覧ください。
※コメ印(※)の付いた写真は生駒安志氏の撮影です。
  
こちらが会場となった大本山護国寺正面の御門。ちなみに護国寺さんでは、特別な催し
が行なわれる時だけ、赤黄緑青白の五色の幕を掲げられるとのことでした
(1)砂曼荼羅の制作

 砂曼荼羅は、チベット語でドゥルツォンと呼ばれます。今回は、北インドのギュト寺院から招聘した6名のお坊さん達の手によって、観音曼荼羅が制作されました。

 まず、あらかじめ青く塗られた正方形の盤の上に、観音菩薩が住む浄土が描かれます。
 そして、描かれた浄土の上に観音様に降臨して頂くというのが、今回の曼荼羅の仏教的な意味合いとなります。

 ちなみに、サンスクリット語では観音菩薩をアヴァローキテーシュヴァラと言いますが、これは「自由自在に観る」という意味。
 その意味で、アヴァローキテーシュヴァラの訳語としては、本当は観音菩薩よりも観自在菩薩のほうが正しいと言えるでしょう。

 さて、砂曼荼羅の制作に当たっては、特別な修行を終えた4人のお坊さん達が縦横2メートルほどの正方形の盤の4方向から曼荼羅を描くのが基本です。

 制作中は息がかかって砂が飛び散ることのないよう、顔の下半分を布で覆ってマスク代わりにします。

 砂曼荼羅を描く道具は、いわゆる絵筆ではなく、中が空洞になった金属製の細長い筒のようなもの。
 この筒の中に砂を入れ、もう1本の筒を使って最初の筒をこすりながら、僅かな振動を与えることによって中の砂を外へ出してゆくのです。

 こう言葉で書くと簡単に聞こえてしまうかも知れませんが、実際に挑戦してみますと、それはもう気が遠くなるほど緻密な作業であることがわかります。
 この技法をマスターするだけでも、優に10〜12年を要するとのことでした。

 約1週間(今回の場合は9日間)をかけて砂曼荼羅を制作し、完成すると特別な声明が唱えられます(この段階で観音菩薩が曼荼羅の上に“降臨”すると考えられています)。

 一連の儀式が行なわれた後、観音菩薩をお迎えする役目を終えた砂曼荼羅は、破壇の作法によって完全に壊され、一粒一粒の砂に戻されます。

 このプロセスについて事前に知らされ、

「こんな素晴らしい芸術作品を壊してしまうなんて、もったいない!」
「スプレーで固めて保存しては如何でしょう?」

などとおっしゃる方は少なくないのですが、仏教の真髄である空(くう)や無常といった思想を知る意味でも、砂曼荼羅は「壊してしまう」ことにこそ大きな意味があるのです。

 破壇の作法のことをチベット語ではシックと言いますが、この言葉には「壊す」という意味のほかに、「そのものが本来在るべき場所に戻す」という意味もあるとのこと。

 砂曼荼羅が壊される様子を実際に目の当たりにした人は、「形あるものは全て壊れる」というこの世の真理を、強く実感なさったことでしょう。

イベント開催前日、砂曼荼羅の下準備をなさる
ギュト寺院のお坊さん達(護国寺桂昌殿にて)


  
盤上に幾多の線を描き、線と線が交差する位置に目印をつけて曼荼羅を描くためのデザ
インの目安をつくっていきます


  
砂曼荼羅を制作中のお坊さん達。完成時のイメージはすべて頭の中に入っているため、制作途中で
設計図をご覧になるようなことは一切ありません


   
曼荼羅に描かれるそれぞれの色・形・方角などには、深い仏教的な意味が込められています。
そのため、その方面の教養のある人がご覧になれば、ここに何が描かれているかは一目瞭然



9日間かけて完成した観音曼荼羅※


  
砂曼荼羅に使われる“砂”は、実は大理石を直径約50〜100ミクロンに砕いた粒子に着色したもの。
顕微鏡で観察すると、まるで氷砂糖のようです(写真提供/女子美術大学・橋本弘安教授)
(2)バター彫刻の制作

 今回は、砂曼荼羅と平行してバター彫刻も作られました。
 バター彫刻の制作は、実はこれが本邦初公開(!)だったんですよ。

 バター彫刻とは、文字どおり彩色したバターで作られた彫刻のことで、ご本尊への供物として飾られます。チベット語ではマルツォンと呼ばれます。

 お坊さんが手指を使って、粘土細工をするような感じで巧みに作り上げてゆくのですが、その際、指以外の道具が使われることはありません。

 東京の7月の蒸し暑さを考慮し、今回は少しぐらいの暑さでは溶けない固練りのバターを、特別にシンガポールから取り寄せました。

 砂曼荼羅同様、バター彫刻も最後は破壇の作法によって跡形もなく壊されてしまいます。
 壊したあとのバターは川には流さず、チベットではバター茶などの料理に入れて食べて(飲んで)しまうとか。

 余談ながら、チベットではお茶と言えばバター茶を指します。
 これは牛乳ではなくヤクのお乳で作ったミルクティーにバターと塩を加えた濃厚なお味の飲み物。日本人の間では好き嫌いがハッキリ分かれるようですが、ヒマラヤ高地の厳しい気候にはぴったりの飲み物と言えましょう。
  
これはお釈迦さまを描いたバター彫刻(右が全体像)。お釈迦さまの下には
象・猿・兎・鳥が描かれた吉祥の風景が描写されています


  
左は阿弥陀如来、右はチベットの高僧・ツォンカパ。これらが全てバターで
出来ているなんて、信じられます?
(3)声明(しょうみょう)

 チベットの声明は、地響きにも似た低音と、同時に一人で複数の音を出す発声法に特徴があります。
 モンゴルやトゥバ共和国に伝わるホーメイ(ホーミー)とも、どこか似ているかも知れません。

 今回のイベントのために北インドのギュト寺院からから来日された6名のお坊さんのうち、トゥプテン・ジグメさんの声明は世界的に有名で、まさに声明のマエストロとでも呼びたいような存在。

 会期中は毎夕30分間の声明のほか、23日と29日はご本堂に場所を移し、1時間の特別声明も行なわれました。

 ご参集いただいた方々からは、

「理由もないのに急に泣けてきた」
「聞いているだけで驚くほど気持ちが良かった」

といったご意見が多数聞かれました。

 「般若心経」など日本人に馴染みのあるお経も上げられましたが、リズムも発音も日本のそれとは大きく異なるため、説明を受けるまで「般若心経」であることに気づかなかった方も少なくないようでした。
  
護国寺のご本堂前にて                ご本堂での1時間にわたる声明



声明の響きによって、ひととき、この空間に「完全なる世界」が創られたように思われました※


  
お勤めを終えた笑顔のお坊さん達と記念
撮影。左端がジグメさんです
(4)破壇の作法から川に砂を撒く儀式まで

 最終日は日曜日ということもあって、完成した砂曼荼羅を一目見ようと駆けつけてくださった1,000人からのご来場者で、桂昌殿は朝から満員電車の中のような大混雑となりました。

 この日、砂曼荼羅は正午頃に完成、バター彫刻も午後2時には完成。夕方4時からは予定どおり儀式(声明)と、破壇の作法が行なわれました。
  
(左)お坊さん達が声明を唱えながら、砂曼荼羅の周囲を時計まわりに歩き始めました。
(右)来日なさった6名のうち最長老のロト師が、砂曼荼羅の中心部に描かれた正方形に
対角線を描くようにして砂を崩します


  
形を失い始めた砂曼荼羅は、見る見るうちにもとの一粒一粒の砂に戻ってゆきました※
 砂曼荼羅を壊したあとの砂は、チベットでは大変ご利益のあるものとして珍重され、小さな袋に入れてお守りとして肌身離さず持ち歩くのだそうです。
 今回はチベットの流儀に従い、ご来場の皆さま(希望者全員)に少しずつ砂をお分けいたしました。

 このあと一行は、残りの砂を携えて護国寺さんを出発、1キロほど先にある江戸川橋公園まで徒歩で移動しました。
 護国寺のお坊さまを先頭に、6名のチベットのお坊さま、そのあとにチベットの民族衣装を着た関係者や何百人もの老若男女がずらりと並んだ行列は、傍から見たら、かなり不思議なご一行様に見えたかも知れませんネ(笑)。

 しかし、そこはそれ、さすがに古いお寺の町だけのことはあります。
 近所の方々はお坊さんに向かってニコニコ微笑みかけたり、合掌なさったりと、実に自然な様子で行列を迎えてくださったのでした。感謝。

主催者側一同の集合写真(護国寺、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所、日印芸術研究所ならびに
ギュト寺院のお坊さま方)※



砂を神田川に撒くお坊さん達


  
(左)川に砂を撒いたあと、川の水を持って再び護国寺に向かう一行
(右)川から竹筒で汲み上げてきた水で盤を拭き清めると、すべての儀式は終了しました
 こうして、つい今しがたまで確かに実在していたはずの砂曼荼羅は、気がついてみると、まるで真夏の夢のように跡形もなく消えておりました。

 それはまさに、仏教が説く「空の思想」の意味が理解できた瞬間でもありました。

 今回の砂曼荼羅を通じて、私自身は、宗教という枠組みを超えた何か大きなもの(something great)、あるいは「私達は何故ここにいるのか」という問いに対する一つの答えを、この目でしっかりと見たように思います。

 さらにもうひとつ、今回私がしみじみ思ったのは、古代インド人がいかに偉大であったかということでした。

 仏教の根幹を成す空の思想を説いたお釈迦さま(仏陀)は、言うまでもなく古代インドの人。
 これとは別に、数学の世界で最大の発見といわれるゼロの発見を成し遂げたのも、やはり古代インド人。

 空(くう)のことを、サンスクリット語ではシューニャ(Sunya)と言いますが、同じ単語は“ゼロ”の意味でも使われます。

 「空の発見」と「ゼロの発見」は、別のジャンルにおける発見ではありますが、両者が同じ根から生まれた2輪の花であることは間違いありません。

 そのふたつの発見が、共に古代インド人によってなされたことは、決して偶然の所産ではないでしょう。その事実に、私は改めて感心したのでした。

 今回のチベット砂曼荼羅ライブパフォーマンスが、皆様の心にも何か大事なものを残してくれたことを願って止みません。

 なお、イベント終了直後から、私のもとへは「来年もぜひ砂曼荼羅を見せてください」といったリクエストが―今回護国寺に来てくださった方と来られなかった方の双方から―たくさん届いています。

 もちろん、来年も今年と同様の砂曼荼羅イベントが開催されることを、私も願っています。
 しかし裏舞台を明かせば、今回のイベントは多くの人たちの善意によって成り立っているのです。

 準備日を含めて10日間ものあいだ無償で場所をご提供くださった護国寺さんをはじめ、朝から晩まで笑顔で働いてくださったお手伝いの方々、そして私自身も含めた関係者が完全な無償(ボランティア)で全面協力することによってのみ実現したのが、今回のイベントなのです。

 ですから、来年も同じようなイベントが開催されるのかと問われれば、私としては「ご縁があれば、きっと開催されるでしょう」とお返事するしかないのです。

 縁あってお逢いした皆さんと、いつの日かまたお目にかかれますようにと祈りつつ。
 トゥー・ジェー・シェタ・チェ(心からの感謝を捧げます)。

まるで一陣の風のような清々しさを残して、お坊
さん達は颯爽と護国寺を去って行かれました
7月27日付けの産経新聞と7月30日付の日経新聞で、砂曼荼羅ライブパフォーマンスが紹介されました。記事はこちらからお読み頂けます。
▼・ェ・▼今週のブースケ&パンダ∪・ω・∪


怠惰な午睡(犬だってゴロゴロしたいんだもん)

※前号までの写真はこちらからご覧ください
事事如意
2006年8月5日
山田 真美