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2005年8月13日号(第183号)
今週のテーマ:
ユリシーズと出逢うまでの2,000キロの道のり
オーストラリア紀行(その三)
※左の画像をクリックしてご覧ください。
カウラ事件に隠された驚愕の真相に迫るノンフィクション『ロスト・オフィサー』が、7月末に全国発売されました(税込み1890円、スパイス刊)。
■日本人は、良い意味でも悪い意味でも、集団行動の得意な民族である。このような集団は、正しいリーダーに恵まれさえすれば素晴らしい成果を上げることができる反面、ひとたびリーダーが欠落したり、間違ったリーダーが選ばれたが最後、今この瞬間にも悲劇の坂を転げ落ちて行く危険と隣り合わせていると言わねばならない。(本文より抜粋)
※今回の話は「週刊マミ自身」第182号からの続きです。前回読み損ねた方は、まずこちらからお読みください。

 あたかも「私を見つけてください」と言わんばかりに、鏡台の一番上の引き出しに眠っていたジョー直筆の1枚の書類。

 諸々の事情から、そこに書かれていたことの内容は公表できませんが、ジョーがこれを誰かに読んで欲しいと願い、そのために引き出しにしまったのだということは文面から一目瞭然でした。

 それにしても、ジョーの没後数十年も経った今になって、はるばる日本から訪ねて行った外国人の私がその書類を発見してしまうとは。果たしてこれは単なる偶然? それとも……?

引き出しの中に眠っていた書類の一部。紙は
劣化しており、折り目は既にボロボロでした
 真夜中のささやき声と、古びた書類。2つのメッセージを通して、一体ジョーは何を言いたかったのでしょう。

 ジョーとテスの姉妹がこのホテルを建てたのは、今から100年以上も昔のことで、当初それは彼女たちの自宅だったそうです。従業員さんの話では、姉妹はそれよりも少し前に、西ヨーロッパの某国からオーストラリアへ移住して来た由。

 彼女らはどのような理由があって、オーストラリアの最果ての地にある金鉱へやって来たのか。
 何のために、広い自宅をホテルに模様替えしなくてはならなかったのか。
 女性が結婚することが当たり前だった時代に、何故ふたりとも生涯独身を貫いたのか。

 このあたりの事情については、これからちょっと事実関係を調べてみようと思います。
 だって、人々が寝静まった真夜中にあれだけハッキリとした「声」を聞いてしまったら、声の正体は何だったのか、好奇心旺盛な私としては捨て置けませんから。
  
夜中に声がした部屋にあった肖像画    ジョーとテスが使っていた洗面道具
 ちなみに、このホテルではオスの中型犬を番犬として飼っているのですが、この犬は、最初にこのホテルにやって来た日からずっと、2階に昇ることを極度に怖がるのだそうです(実際、私が階段の上から何度呼んでも、犬は決して階段を昇って来ようとはしませんでした)。

 これとは別に従業員のひとりが飼っている猫も、2階に連れて行くと狂ったように暴れ出して、ほうほうの体で逃げてしまうのだとか。

 犬や猫の五感(特に聴覚と嗅覚)は、人間とは比較にならないほど敏感だそうですから、彼らは私たちには窺い知ることの出来ない「何か」を感知しているような気がしますネ。

 私自身は、このホテルが地元の人たちが言うような幽霊の出るホテルだとは思っていませんが、2階に何らかの秘密が隠されていることは間違いないような気がします。

 こんなときエドガー・アラン・ポーなら、「この家の2階の壁には、死体が塗りこめられているのだ」なんてことをおっしゃりそう(笑)。

 なお、真夜中の声の正体について言えば、私の頭の中では、実は既に半分は謎が解けているのです。残り半分の謎も解けた暁には、このエピソードをミステリー小説の中などに登場させるかも知れません。

ホテルの2階を極度に怖がる番犬
 こうして「幽霊ホテル」をチェックアウトした私たちは、その後は北北西に進路を取り、憧れの熱帯雨林へと向かいました。

 今回訪ねることになったこの熱帯雨林、名前をデイントゥリー(Daintree)と言いまして、面積およそ1,200平方キロ。生息する動植物の種類数は、世界最多とのことです。

 実は、今回こうしてデイントゥリーを訪ねることになるまで、私はてっきり、世界の熱帯雨林のうちで動植物の種類が一番多いのは南米のアマゾンだとばかり思い込んでおりました(不勉強でスミマセン)。

 乾燥大陸の異名を取るオーストラリアの、赤道に最も近い北のはずれに、世界一の大自然の宝庫があろうとは、正直なところ想像すら出来ませんでした。

 しかもデイントゥリーは、世界的に見ても極めてレアな海に面した熱帯雨林でもあるのです。
 つまりここは熱帯雨林探検とダイビングを同じ日に楽しめるという、アウトドア派の旅人にとってはまさに極楽そのもののロケーションなのです。

デイントゥリーの入り口にある街で、息抜きに
カンガルーと戯れる♪の図
 その後、制限時速100〜110kmのハイウェイをほぼ北へ北へと進むに従って、道幅は目に見えて狭く、しかも凸凹だらけになってきました。

 道路脇には、「4WD車以外走行禁止」と書かれた大きな看板も立っています。そうなのです。ここから先は、普通乗用車では通れない悪路なのです。

「カサワリに注意」の道路標識。この
ほか、沼地や小川の近くでは「ワニ
に注意」の看板も多く見かけました
 今回、私たちが選んだ最終目的地はクインカンという場所ですが、そこへ辿り着くためには道なき道を通り、いくつもの橋のない川を超えて行かねばなりません。

 私たちは日本を発つ前に4WD車を手配しておいたから良かったようなものの、何も知らずに普通乗用車で来てしまった人は、途中で涙のUターンを余儀なくされるというわけです。

 ちなみに、将来的にオーストラリアへのアドベンチャー個人旅行を企画している方々のために申し上げますと、オーストラリアのアウトバック(荒野)へ車で出るなら、4WD車は絶対に必須です。場所によっては、華奢な普通車のタイヤが吹き飛んでしまうような悪路が延々と何百キロも続いていたりしますので、この点には特にご注意ください。

 オーストラリアでは4WD車のレンタル料は普通車の約3倍かかりますが、にもかかわらず4WD車の人気は絶大で、レンタカー・ショップでも「全車貸し出し中」の可能性が非常に高いのです。必要な方は、日本を出発する前に必ず事前に予約を入れてから出かけましょう。

 さて、クインカンへと向かう道中、ちょっとおかしなフェリーに乗りました。

 何がおかしいって、このフェリー、人間ごと自動車を乗せて向こう岸に渡すための渡し舟なのですが、外観はどう見ても単なる巨大な鉄の塊で、そもそも船らしい船の形はしていません。

 川幅、わずか150〜200メートル(目測)。
 船に乗っている所要時間、たったの2分弱(短っ)!
 これでお値段は、自動車1台につき片道12ドル(約1,000円)!

 こんな狭い川に、どうして橋を架けないの?
 もしや、この辺りは雨季における降雨量が極端に多く、それで橋を架けることが困難なのでしょうか。
 でも、通勤通学でこの橋を毎日利用していたら、それだけで1日2,000円もかかっちゃうんですよ?

 しかもこのフェリー、結構利用客が多いらしく、私たちのような観光客のみならず、川を渡って職場や学校に行く人などで結構な賑わい。
 泊まったホテルの店主いわく、「朝9時を過ぎるとフェリー待ちの自動車がズラ〜ッと並び始めるから、待たずに乗りたいなら早い時間帯にさっさとお乗りなさい」ですって。

 イマイチ納得できない、謎のフェリーでした。

 もしもオーストラリア政府関係者の方でこのページをお読みになっている方がいらっしゃいましたら、この川に橋を架けない理由を是非とも教えてください。当方、興味津々です。何卒お願いいたします。

川幅はこれっぽっち。近くに橋がないので、川を
渡るための方法はフェリーのみ



対岸から見たフェリー航行の様子
 こうして山越え谷越え川を越え、エキゾチックな熱帯雨林の風景の中を何日も走った末に、ようやくクインカンに到着しました。

 「クインカン」とは、「精霊」を表わすアボリジニの言葉だそうで、地名が示すとおり、一帯はアボリジニにとっての聖地です。

 辺りにはごつごつとした岩山が多いのですが、その山肌の窪んでいる部分、つまり洞窟には、大昔の人類が描いた独特の世界観が展開されています。
 これこそが、今から15,000年以上の昔に先住民族アボリジニによって描かれた洞窟壁画の数々です。

 クインカンの壁画が描かれた時期は、新しいものでも15,000年前。古いものになると35,000年あるいはそれ以上前と言いますから、その歴史のスケールにまず驚嘆させられますが、絵画の表面を近年になって修復したのか、色彩や線描などはさほど失われていませんでした。

 絵のモチーフは、主として動物や精霊
 表現方法は単純かつ明快で、「横顔」とか「後姿」といった複雑な構図がひとつもなく、あくまでも正面からまっすぐに対象物をとらえているのが印象的でした。

 また、精霊の顔はと見ると、目が描いてあるだけで、そのほかのパーツ(眉、鼻、口、耳、毛髪など)は見当たりません。
 手足の指の数は、5本あったり4本しかなかったりと、その絵によってまちまちです。当時の数の数え方は、4と5を間違える程度のアバウトさだったのかも知れませんが、あるいは、何かもっと別の意味があるのかも知れません。

クインカンにて。壁画に描かれた人物画のうち、
腕と脚がまっすぐに伸びているのは良い精霊。
肘と膝が曲がっているのは悪霊だそう
 アボリジニが描く絵は、しばしばレントゲン画と称されます。

 その理由は、例えば生き物を描く際に、彼らはその表面だけでなく、内側にある内臓や骨、それに胃袋の中に収まった物まで、まるでレントゲンで透視したように描いてしまうから。しかも、彼らが描いた内臓の位置関係などは、解剖学的に見ても驚くほど正確なのだとか。

 アボリジニは地上最古の人類だそうですが、彼らには自分たちの文字がありません。その代わりにアボリジニたちは、あらゆる生活の知恵や知識を口承および絵画という手段で表現したようです。

 そうした生活の知恵や知識は、長老から村人へ、親から子へと代々伝えられましたが、その際に役立ったのが例の「レントゲン画」です。

 1枚1枚のレントゲン画には、
「この植物の実を食べると、人間の腸のこの部分が痛くなる」
「この動物の、この部分を食べると人間は死ぬ」
といった教訓が、絵だけ(文字なし)で表現されているのです。

 そう考えてみると、アボリジニにとっての絵画は、アートというよりは知恵の伝達法であり、親が子のために描き残した一種の教科書のようなものと考えたほうが理に即しているかも知れませんネ。

 その意味で伝統的な「アボリジニ画家」は、現代的な意味合いにおける「クリエイティブなアーティスト」では全くなく、むしろ古人の知恵を正確に伝承するための教師であり伝道師であると考えたほうが的を射ているかも知れません。

 しかしクインカンの壁画を見る限り、まだレントゲン画の手法は見られないようでした。この時代の絵画は、レントゲン画が確立するよりも前段階の、ごく初期のアボリジニの世界観を表わしているのでしょう。

 壁画の至るところには、良い精霊と悪い精霊が描かれていました。
 そこからは、「善」と「悪」だけで構築されたシンプルかつ二元論的な世界観が垣間見えて、とても面白いなと私は感じました。

沼地に咲いていた薄紫色の睡蓮の花
 今回の旅は、日数にして2週間。自動車の走行距離にして2,000キロ
 なにしろ色々なことがあったものですから、その全てをここに書くことは到底不可能です(しかも、幽霊ホテルの話だけで多く書きすぎちゃいましたし(苦笑))。
 
 今回は書き切れなかったエピソードの中にも、雨戸もないのに雨戸を開閉する音が聞こえるお化け屋敷での怪事件とか、わざわざロック・クライミングをしてまで見に行った山奥の滝の美しさとか、怪我をしたコウモリのためのリハビリ病院の話、地図に載っていない池のほとりで偶然に出会ったペリカンの大群のこと、それに、安くて美味しいレストラン情報などなど、面白い話は山ほどあるのですが、とても全部は書ききれませんでしたから、それらはまた別の機会に譲ります。

 けれでも、幻の蝶・ユリシーズの顛末だけは、どうしても書いておかなくてはいけませんネ。

 ユリシーズは、黒地に青色の羽根を持ち、オーストラリアやニューギニアの熱帯雨林の奥地に生息するアゲハチョウだそうです。
 青色の部分に光沢があるため、空を舞う姿はまるで空飛ぶサファイアのようだとか。

 伝説によれば、その蝶を一度見た者は幸福になり、二度見た者は不幸になり、三度見た者は大金持ちになるのだそうです。

 これとは別の伝説によれば、「ユリシーズを3匹見ると幸福になれる」とも言うそうですが、どちらにしても、幸福を呼ぶ蝶であることは間違いなさそう(ただし、二度見るのはご法度のようですが)。

※注/蝶の数え方は「1匹、2匹」ではなく「1頭、2頭」が正式だと記憶していますが、それでは可愛くないので、ここでは正しい言葉の用法を無視して「匹」を使わせていただきます。

 「幻のユリシーズ」と「幻」の枕詞が付くだけのことはあって、土地の人に聞いても、この蝶に逢うのはなかなか難しいとのことでした。
 もちろん、バタフライ・ファーム(蝶園)のような場所に行けば、人工的に孵化されたユリシーズを見ることは出来るでしょう。でも、それでは全く面白味がありません。

 (旅のあいだに一度はユリシーズを見たい)と密かに心の中で願っていましたが、実際には、道なき道を2,000キロ走ってもその気配すらなく、(どうやら今回は縁がないのでは)と途中からは半分諦めていたのでした。

 ユリシーズのことをすっかり忘れかけていた、7月15日。

 その日は日本に帰る前日で、私たちは最後の熱帯雨林ドライブを楽しんでいました。
 不意にフロントグラスの前をふわりと横切った黒い影。それは紛れもなくユリシーズのシルエットだったのです。急いで車を止め、表に飛び出してみると―

優雅に空を舞うユリシーズ
 ―すぐ頭上でゆっくりと舞っていたのは、目の覚めるようなブルーのユリシーズ。

 蝶は、まるで「おいで、おいで」とでも言いたげにゆっくりと飛んで行きます。
 急いでそのあとを追いかけて行くと、10メートルほど前方に無数の黄色い花をつけた1本の高木があって、花の回りでは、おびただしい数のユリシーズが舞っていたではありませんか。それは、この世のものとも思われない幻想的な光景でした。

 このとき私はデジカメを持っていたにもかかわらず、ほんの2〜3回シャッターを切っただけで写真撮影などどうでも良くなり、カメラをポケットにしまってしまいました。

 それにしても、あの場所には、全部で何匹のユリシーズがいたのか。
 「1、2、3、4、5……」と30まで数えたところで、そんなこともどうでも良くなり、あとはただ放心状態で空を見上げていたような気がします。おそらくあの木の回りだけで、40〜50匹のユリシーズがいたのではないかと思います。

 1匹見ただけで幸福になれるはずのユリシーズを、いっぺんにこれだけ見ることが出来たのですから、これはもう、大安吉日とお正月と誕生日が一度に来たようなおめでたさですよね(笑)。

 このページを読んでくださっている皆さん全員にお裾分けできる幸福を呼んだこと、間違いなし! どうぞお土産にお持ち帰りください。

 ……というわけで今回のオーストラリアは、当初の三大目標だった「幽霊ホテルに泊まる」、「クインカンの壁画を訪ねる」、「ユリシーズをこの目で見る」をすべてクリア。お蔭さまで、たいへん有意義な取材旅行となりました。
 今回の体験をじっくりと熟成させ、近い将来、是非とも作品に反映したいと思っています。

   ♪ ♪ ♪

 さて、前号でお知らせしたオーストラリア土産(女性用ポロシャツと帽子のセット)には、たくさんのご応募を頂き、ありがとうございました。アミダくじの結果、当選者は姉ちゃんさんに決定いたしました。おめでとうございます♪ 賞品は一両日中に発送いたしますので、どうぞお楽しみに。

 今回は選に漏れてしまった皆さん、ごめんなさい。これに懲りず次回もチャレンジしてくださいマセ。

 今後は、「週刊マミ自身」第200号記念特別プレゼント(休みなしで更新すれば、12月10日頃に発行?)なども企画しておりますので、今から乞うご期待。

 まだまだ暑さの残る今日この頃ですが、皆さん、どうかお体に気をつけてお過ごしくださいネ。
 「週刊マミ自身」の次号更新は8月20日予定、テーマは「真夏の陶芸教室」です。

 ではでは♪
★★★今週のブースケ&パンダ★★★


遊んでいるうちに喧嘩になっちゃった

※前号までの写真はこちらからご覧ください
事事如意
2005年8月13日
山田 真美