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2008年8月30日号(第307号)
今週のテーマ:
カウラ事件から八百万の神々まで
★ お し ら せ ★
真言宗のお寺・金剛院さんのウェブ上で『仏教一年生』と題したエッセイを連載中です(毎月28日更新)。第5回は「生きるための勇気」。左のロゴをクリックしてページに飛んでください。
 かねてよりご案内申し上げておりました「豪州ワインとカウラ秘話の会」(8月23日、於/s.l.o)は、お蔭さまで満員御礼、和気藹藹とした雰囲気の中で終了いたしました。

 ご出席いただいた皆さま、ならびに会を主催してくださったヴァイアンドカンパニーの唄淳二さん、本当にありがとうございました。

 なお、好評につき、同じテーマの会を年内に大阪で開催することになりそうです。
 詳細が決まり次第このホームページでお知らせいたしますので、関西方面の皆さま、その折にはぜひご出席くださいネ。
 
オシャレなレストランを借り切って催されたレクチャーの様子(神楽坂の「s.l.o」にて)


 
(左)レクチャー中のひとコマ (右)当日いただいたコースの前菜「穴子と夏野菜のテリーヌ」


 
(左)当日ワインの説明をしてくださったデニスさんは元外交官。私とはこの日、約20年ぶりの再会でした
(右)家族全員で拙著を読んでくださっている小山修さん(+奥さん+妹さん+娘さん)ご一家と記念撮影
 カウラの会が終了したあと、私はその足でお台場の某所へ……。

 マスコミを通じて目にする華やかなお台場を「表お台場」とすれば、人けもなく、怪しげな倉庫などが建ち並ぶそのエリアは、まさに裏お台場(笑)。

 不気味なほど静まり返った倉庫街を歩いて行くと、やがて大きな体育館みたいな建物に着いたのですが、そこには60頭だか70頭だか忘れましたが、とにかくおびただしい数のプラスチック製の牛(超リアルな実物大)がおりまして、牛と同じだけの人数のアーティストたちが牛の体に思い思いのペインティングを施しているのでした。

 実はこの牛たち、9月5日から始まる「カウ・パレード」という恒例のアートイベントで丸の内界隈にズラズラ〜ッと展示される予定のアート作品なのです。

 詳細はイベントが始まったら(そして私に時間があったら)またレポートしたいと思いますが、まあなにしろ牛だらけの壮観なイベントなんですよ。

 私の複数の友人たち(日本文化デザインフォーラムのメンバー)もこのイベントに参加しているのですが、そのほかにも、このところ「週刊マミ自身」に立て続けに登場して皆さまにもすっかりお馴染み(?)となったアメリカ人マジシャン、スティーブ・マーシャルさんもそのひとり。絵筆片手に、ペインティングの最後の追い込みを頑張っておられました。

 この日はスティーブへの陣中見舞がてら、スティーブの牛にも英語で"Moo moo!"と挨拶してきました(笑)。

 ……というわけでこの日は、大勢の仕事仲間(co-workers)に囲まれてCowra(カウラ)に関するレクチャーをしたあと、たくさんのcow(牛)を見に行くという、何だかとってもcowずくめな1日でした。

 29日(金)は博報堂が出している『広告』という月刊誌の取材を受けるために、数か月ぶりで琵琶湖へ。

高野山大学の教科書を読みながら
新幹線で米原へ……
 今回の取材は、「日本の自然とやおよろずの神々」というシリーズの一環です。

 私は日本三大弁天のひとつである琵琶湖・竹生島の宝厳寺で弁才天を通じて“やおよろず”を語って参りました。

 当初、博報堂さんからいただいた日程表によれば、本土から島へは○○汽船のフェリーで渡る予定だったのですが、例によって私が

「○○汽船じゃイヤだ。オーミマリンに乗りたい

とワガママな主張(笑)。

 その理由は……この会社の名前のパッと見の感じが「オー! マミリン」だから(爆)。よからぬ他意はございません。○○汽船の皆さま、ゴメンナサイ。ちなみにオーミマリンは近江マリンでございまする。

パッと見「オーマミリン」に見える「オーミ
マリン」の看板の下でお約束の写真撮影


 
ちなみに同じ場所で撮った過去写真はこちら(笑)。(左)2007年夏 (右)2007年秋
 島に渡ってからは、前回同様、宝厳寺ご住職の峰覚雄さんにすっかりお世話になりました。
 昨年の秋に伺ったとき、ご住職からは、

「うちの弁天さまは秘仏で、60年に一度しかご開帳しません。次のご開帳は30年後の2037年です」

とお聞きしていましたので、今回はお目にかかってすぐに、

あと29年ですね」
「そのときも伺えるように今から足腰を鍛えておかなければ(笑)」

という話になりました。

 なにしろここは150段の急な階段を一気に登らないと本堂に辿り着けないため、足腰の弱い人はアウトなのです。
   
(左)竹生島の船着き場 (右)急な階段を150段登って弁天様が祀られている御本堂を目指します
 それにしても、次にご開帳がある29年後と言えば、私は77歳。喜寿ですよ、喜寿(驚)。

 自分はその頃、どこで何をしているんだろうな。日本にいるかインドにいるかブラジルにいるか、はたまた宇宙ステーションに長期滞在中か(笑)……今はサッパリわかりませんが、たとえどこにいても、きっと相変わらずイケイケGO GOのチョイ悪おばあちゃんになっていることでしょう。

 でも、2037年、世界はどうなっているでしょうね。
 そのときも世界が平和であったなら、必ず竹生島へ戻って来たいと思います。

 ところで話は変わりますが、今回竹生島にお邪魔しているあいだ、島のあちこちに白い鳥が群生しているのが目につきました。スタッフたちとも、

「ずいぶん鳥が多いですね〜。あれは白鷺(しらさぎ)でしょうかね?」

などと話していたのですが、今ネット検索したところ、「竹生島のカワウ対策早急に―宝厳寺住職が訴え」というタイトルのこんな記事が出ていました。

 鳥(カワウ=川鵜)の増殖によって島の樹木の70%が枯れ、そのために崖崩れや水不足などの緊急問題が浮上しているとのこと。平和そのものに見える竹生島にも、実はこんな深刻な問題があるのですね……。
 
(左)竹生島は神仏混淆の聖なる島。これは島内にある複数の鳥居のうちのひとつ
です。小さな皿に願い事を書き、鳥居に向かって投げると願いが叶う由。私は「成る」
と書いて投げました (右)手乗り竹生島(笑)。ちなみに「手乗り○○シリーズ」は12
年前から世界各地で撮っています。12年前の第一作目は「手乗り娘&息子」でした
 竹生島から本土に戻ったあとは、湖に向かって大きく張り出した梅津大崎まで足を伸ばし、そこで雑誌のための写真撮影。

 ここからは、琵琶湖と竹生島を一望できるのです(右上の写真参照)。

 このあとは電車に乗るためJRのマキノ駅へ行ったのですが、駅構内には「ようこそカタカナの町へ」と書かれた看板がいっぱい。

 調べてみると、この町は全国で初めて町名にカタカナを用いた町なのだそうです。

 2005年に施行された市町村合併で、「高島市」の一部になったようですが、今も町の名前は「高島市マキノ町」。学校もマキノ小学校・マキノ中学校とカタカナ表記で、駅舎もマキノ駅。珍しいですよネ。
 
(左)マキノ駅に掲げられていた看板 (右)マキノ駅にて、左からカメラマンの林川淳さん、私、
博報堂「広告」編集部の平田裕恵さん(Photo by 「広告」編集委員の伊藤耕太さん)
 なお、今回の琵琶湖取材の内容は、10月26日発売予定の『広告』12月号に掲載される予定です。どちらかと言うと業界向けの雑誌のようですが、一般書店でも購入できますのでどうぞお見逃しなく!

 来週は学習院女子大学で講義をして参ります。
 ではでは♪
▼・ェ・▼今週のブースケ&パンダ∪・ω・∪


ヘンな顔のパンダ

(※前号までの写真はこちらからご覧ください)
事事如意
2008年8月30日
山田 真美
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