旅に出ていない限り毎週土曜日に更新します。
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2015年2月2日号(第531号)
今週のテーマ:
インド工科大学(1)
 
 2015年1月24日から2月24日までの一か月間、インド工科大学ハイデラバード校(略称IITH)の教壇に立つことになりました。

 大学での所属は教養学部(Faculty of Liberal Arts)。
 ポジションは客員助教授(Visiting Assistant Professor)です。

 ここには日々の出来事を備忘録的にメモしておきたいと思います。かなり散文的な記述になるかと思いますが、あらかじめお許しくださいませ。 
1月23日(金)―移動日

 羽田発のカタール航空機で一路ドーハへ。本来ならばエアインディアに乗るところだが、あいにく金曜日は便がなかったのだ。それで、少し遠回りになるがカタール航空を選んだ。

 ドーハではなんと13時間30分のトランジット

 空港で待つのはいかにもツラそうだったので航空会社のデスクに掛け合ったところ、休憩用ホテル(無料サービス)を用意していただけることになった。

 本来、この手のサービスは3日前までに申し込んでおかなければダメだそうだが、ダメモトで押したところにっこり笑って許可してくれた。カタールは心が広い。

東京からドーハまでの飛行機のルート(一旦インドを通り越し、再び
ハイデラバードまで戻ることになる。ハイデラバードはBengaluruの近く)



カタール航空が「休憩用にどうぞ」と用意してくれたホテルの一室(無料)



同じく無料のホテルの食事(朝食・昼食の2回)。1日観光ビザも無料で発給してくれた



これはホテルの窓から見た風景。市内の至るところが建設ブームに湧いていた



13時間30分もあるのでホテルの部屋を出て市内観光



ビーチでは、人目についてはいけない女性用のこんな休憩所を散見した



ドーハ市内最大のモスクを見学。頭から全身をすっぽり覆うことのできるコートが大活躍



モスクから臨む街の中心部(高層ビル群)。
まるで中世と現代が混じり合ったような不思議な光景だ



この光景もどこか中世と現代が交叉している



小鳥屋さんだけが何十軒も軒を連ねたバード・マーケット



ドーハでは多くの女性がお顔を出して歩いていた



昨年完成したばかりのモダンなドーハ国際空港
1月24日(土)―IITHでの第1日目

 ドーハから再びカタール航空機に乗り、朝2時15分というトンデモナイ時刻にハイデラバード空港到着。教養学部の博士後期課程の学生2人――ヴェンカテーシュ(男性)とシャロカ(女性)――が迎えに来てくれていた。

 車に揺られること約1時間。市内から凄く離れた真っ暗な陸の孤島のような所に連れて行かれた。ここがIITHだという。「マジで!?」と目が点に。

 ゲストハウスでは、あまりの静けさのためにかえって夜中に何度も目が覚めた。朝6時にはコーランを朗々と読み上げる声があたりに響き、再び目が覚めた。どうやらすぐ近くにモスクがあるらしい。ちなみにここハイデラバードはインド屈指のイスラムの街である。
 
インド工科大学のゲストハウス附属食堂でいただく最初の朝食



これが"Institute"と呼ばれるメインの校舎。なんだか小学校のような印象だが、
これは「仮校舎」であり、もうすぐお役目を終える予定だとか



こちらが私が教える123号室。黒板とチョークが懐かしい感じ



これから1か月暮らすこととなるゲストハウス。こちらの建物も古い!(2階左側が私の部屋)



ゲストハウスの応接間



小さいけれどテラスがある



窓の外の電線にはカラフルなインコが集まってきて心が和む
 1月25日(日)―IITHでの第2日目

 昨日、今日、明日の3日間、ハイデラバード郊外のBasara Temple(バサラ寺院)では年に一度のサラスワティ女神の御縁日が行なわれている。

 「ヴァサント・パンチャミ」と呼ばれるこの祭りは、簡単に言えば、これから文字の読み書きの勉強を始める幼い子どもたちを学問の神さまであるサラスワティ女神(=弁才天のもともとの姿)のところへ連れて行き、祭礼を執り行ない、「どうかこの子が賢い子になりますように」と祈る儀式である。

 バサラ寺院はこの儀式を執り行なう総本山のようなところだ。

 私は2007年にもバサラ寺院を訪ねているが、その時は本殿が工事中で見る影もなく、非常に残念な思いをしたのだ。

 あのとき私がサラスワティ女神と(勝手に)交わした「いつか必ず帰ってきます」という約束を、今回ようやく果たすことができた。しかもインドの最高学府の客員教員として帰って来られたのだから、まさに本望。というか、これは女神さまの御利益なのかも……と思ったりしている。

 ちなみに今日の旅には博士課程の学生1人(ゴータマ)と学士課程の学生2人(ラムとシャリニ)の合計3人がお供してくれた。
 
お寺へ入る前にガート(沐浴場)で足を浄める



バサラ寺院にて。一年に一度の縁日とあって信者の長い行列ができていた



さすがに幼い子を連れた人が目立つ



その昔、ヴィヤーサ仙人が瞑想したとされる洞窟に入り、仙人の像と並んで瞑想してみた。
ちなみに仙人は瞑想中にサラスワティ女神に会い、その後、世界最長の大叙事詩『マハー
バーラタ』を執筆した……という伝説がある



サラスワティ女神のイラストが入ったバインダー2種類は自分用のお土産
  1月26日(月)―IITHでの第3日目

 今日はインド共和国記念日。朝から校舎前の国旗掲揚台のあたりでセレモニーが行なわれた。インド国旗掲揚、インド国歌斉唱のあと、デサイ学長の力強いスピーチがあった。

 学長は非常にわかりやすくパワフルな話し方をなさる方だ。初対面だったので、ようやくご挨拶。

 IITHの教授陣はとにかく猛烈に忙しいようで、そう簡単にはお目にかかれないのである(夜も普通に8時頃まで仕事をしていらっしゃる)。日本人は働き蜂だというが、ここの先生方も相当なものだと思う今日この頃。日本ならば事務方がする仕事も、すべて教授がこなしている現状はまさに驚異的。

 共和国記念日セレモニーの後は、物理学科の教授の家に呼ばれてランチ。

 そのあとは化学工業学科の教授らに連れられて新キャンパスの建設現場を見に行ってきた。現在使われているIITHの建物は、実はすべて仮校舎なのだと知った。

 新キャンパスは今より遥かに便のよい国道沿いにあり、べらぼうに広大だ。ただし今の工事の進み方を見る限り、今年中に完成することは99パーセントあり得ないと思うのだが。

 新キャンパスの設計デザインはインド、日本、ドイツ、米国によるものだそうだ。

共和国記念日のセレモニー終了後、デサイ学長と



現在建設中の新校舎群(走る車の窓から撮影)



とてつもなく広い敷地のあちこちに巨大な建物が立ち並ぶ様子は圧巻



このあたりの建物は男子学生寮になるようだ



よくよく見ると5階あたり(建物の外)で命綱なしで作業中



この手の被り物は苦手だが、規則なので今日はヘルメット着用
 1月27日(火)―IITHでの第4日目

 ゲストハウスのインターネットが通じない。不便で不便でたまらない。ずっと文句を言っていたところ世話係(?)のアマルがどこかから「TATA PHOTON」と書かれたUSBを持ってきてくれた。

 これでネットにつなげるらしい。最初はうまく行かなかったが、何度かトライするうちにようやく開通。これで文化的な生活が約束されたのはありがたい。

 なお、ゲストハウスはほぼ毎朝のように停電するが、その間もネットは切れないようだ。今日は明日の授業の準備に明け暮れる。

1月28日(水)―IITHでの第5日目

 第一回目の授業に行ったところ、なんと学生が一人も来ない。手伝いに来てくれた博士課程の学生たちが「初回から欠席するなんて、まったく失礼な話だ」と怒ってくれたが、最後まで待っても結局誰も来なかった(汗)。

 後日、学生達から聞いた話によれば、第一回授業が「28日の午前10時から11時半まで123号室で行なわれる」という通知が学生達に届いたのは11時半を過ぎたあとだったそうだ(大汗)。

 この件に関して複数のインド人から

「初回の授業が流れるのはよくあることですよ」

と真顔で言われたのも驚きだが、最大の驚きはこの事態に対して全く驚いていない自分だろう。

 まあ、インドはいつだって不思議の国だし、今回もナンデモアリってことで。

 なお、同じく28日の夕方(16時~17時30分)には「七福神信仰を通して見た日印関係」というタイトルで特別講義を開講することになっていたのだが、幸い、そちらには聴衆が集まってくれた。ありがたやありがたや。

※特別講義の詳細(タイトルと内容)は以下の通り。
Title: India-Japan Friendship seen through SHICHI FUKU JIN (The Seven Gods of Good Fortune)
Abstract: In Japan, visiting a Buddhist temple or Shinto shrine at the beginning of New Year is a widely conducted tradition. According to Japanese legends, there are some eight million gods and goddesses. Among them, seven gods are called "Shichi Fuku Jin" and thought to be extremely auspicious. Of the seven, three are Indian gods: Saraswati, Mahakal and Kubera Vaishravana. This lecture will introduce how the trio gained absolute popularity in Japanese society, while influencing its culture, economic growth, progress of science, as well as the peace of mind of its people.

「七福神信仰を通して見た日印関係」のテーマで特別講義



着ている服も「福禄寿」柄



特別講義終了後、聴講者と記念撮影



特別講義をした記念品としていただいたIITHロゴ入りマグカップ
(非売品=稀少品らしい)



ちなみにこちらは私が学内で与えられたオフィス・スペースである
 1月29日(木)―IITHでの第6日目

 IITH(インド工科大学ハイデラバード校)に到着して6日。ようやく周囲の様子が少しわかってきた。ここはOrdinance Factory(兵器工場)のあるところで、IITHはもとからここにあった古い建物(かつて学校だったところ)に間借りをしている状況のようだ。道理で小学校みたいな建物だと思った。

 特殊な工場があるせいか、このへんはとにかく閑散としている。道を歩いている人もまばらだし、第一、店舗と呼べるものを一軒も見たことがない。

 宿舎から15分ほど歩いたところにサウスゲート(南門)と呼ばれる小さなマーケットがあると聞いたので、とにかくそこまで歩いてみることにした。

 言われた通りに行くと、確かにマーケットがあるにはあった。が、30軒ほどある店舗のうち開いていたのは数軒のみ。聞けば、多くの店は工場が終業して労働者が外に出てくる午後5時頃まで開店しないのだそうだ(客がいないから)。

 というわけで今日は無駄足であった。
 ちなみに兵器工場一帯は5つの門(ゲート)で囲まれているらしい。
 
ここが「サウスゲート(南門)」。道の真ん中にセキュリティーポスト(検問所)がある



昼間のマーケットはゴーストタウンのように閑散としている



ちなみにこちらはIITHの学生寮の中にあるお店(先日、女子寮を見学中に発見した)。
最低限の日用品はここで入手できそうだ
 1月30日(金)―IITHでの第7日目

 今日はようやく最初の授業を行なうことができた。この講義では日本における弁才天信仰を通じて日本文化や歴史、ひいては日印関係を広く深く扱うことになる。(注:弁才天の原型はインド由来の「智恵と学問の女神」であるサラスワティ)

 学生達はなかなか活発で、質問もぽんぽん飛び出す。教える側としては大変嬉しい反応だ。

 また(当然かも知れないが)彼らは日本のアニメやマンガにも強い関心があるようだった。

 インドでは教師を姓ではなく名前(ファーストネーム)で呼ぶしきたりなので、「マミ先生」または「プロフェッサー・マミ」と呼んでねと学生達に伝えた。

※講義の詳細(コースのタイトルと内容)は以下の通り。
Course Title: Indian Gods in Japan - History, Identity and Supremacy in the Society
Course Outline: For many centuries, India has been one of the most influential countries to Japan. In Japan, India was traditionally called Tenjiku. “Ten” is a special term bestowed only on extremely auspicious/sacred beings such as Tengoku (Heaven) and Tenno (Emperor). The Japanese names of Indian Gods/Goddesses often end with “ten”. Taishaku Ten (Indra), Daikoku Ten (Mahākāla) and Kissho Ten (Lakshmi) are just a few examples. Among them, Benzai Ten (Saraswati) is the one who attains more visibility and popularity than any other. She has been enshrined and worshipped throughout the nation. Why is she so popular? Why not other deities but her? This course dynamically approaches Japanese history, religion, culture and society at large through the Japanese belief of Benzai Ten. The course also offers some basic knowledge of Japanese language, culture and subculture including Otaku and Akihabara.

 第一回授業にて(写真は最前列の男子学生が撮ってくれたもの)
 1月31日(土)―IITHでの第8日目

 ゲストハウスの部屋でゆっくり調べ物をしていたところ、外のほうから突然

アーンティ! アーンティ!」(おばさん! おばさん!)

という男の金切声がする。(誰が呼ばれているのだろうなあ)と思いながら放っておいたが、一向に声がやまない。うるさいなと思いながら外を見ると、なんと窓の外に誰かがいたではないか。

 窓にピタリと顔を寄せ、猿のように身を丸めてこちらを覗きこんでいるのだ(ちなみに私の部屋は2階)。ギョッとしながらよく見ると、梯子を使ってよじ登って来たペンキ塗りの男(推定20歳)であった。

 この男、とにかく金切声でよくしゃべる。手はあまり動かさず口ばかりが達者だ。窓越しに私にも色々と話しかけてくるのには辟易した。しかもテルグ語(現地語)なので何を言っているのかわからない。

 そのたびに「アーンティ!」と叫ぶので、いいかげん騒音にぶちぎれた私が"Call me professor!"(プロフェッサーと呼べ!)と怒鳴り返したところ、「イエス、アーンティ!(はい、おばさん!)」という屈託のない答えが返ってきた。ダメだこりゃ。

 というわけで非常にやかましい土曜日であった。

 2階の窓の外にこの男が張り付いていたら、ちょっと引く
 2月1日(日)―IITHでの第9日目

 今日は大学の車を出してもらい、テランガナ州と隣接するカルナタカ州のビダル(Bidar)という街までプチ旅行と洒落てみた。

 座席が空いていては勿体ないので、博士後期課程の学生3人――女子学生のシャロカ、男子学生のヴェンカテーシュ、そして東京大学博士後期課程在学中でリサーチ・インターンとしてIITHに短期滞在中のヒロ(本名は池上洋行さん)――を連れて行った。

 ビダルはかつてデカン高原一帯の首都だったところで、今もペルシャ文化とトルコ文化とヒンドゥー文化が入り混じった独特の雰囲気を醸している。ヒンドゥー教の寺院とイスラム教のモスクのほか、立派なグルドワラ(シーク教寺院)もある。ほかにジャイナ教寺院やキリスト教の教会もあるそうだ。

 今回、私のメインの目的は、ヒンドゥー教の聖地ナラシンハ寺院を訪ねることであった。

 ナラシンハはヴィシュヌ神の十の化身(アヴァターラ)の一つで、半人半獣(からだの半分は人、半分はライオン)の姿をした神さまである。ビダルのナラシンハ寺院は、泥水で一杯の洞窟の中を首までどっぷりと浸かりながら延々と歩いた先にあるという。

 実際に洞窟を前にすると、水恐怖症の気があるシャロカは「水が怖い」と尻込みしてしまい一歩も前に進もうとしない。さんざん揉めた末に、ヴェンカテーシュに支えられてキャーキャー騒ぎながら水に入って行った。ヒロは足を怪我しており水に入らなかった。

 私も旅に出かける前にYoutubeで洞窟内の様子をチェックし、水があまりにも汚いようなので中に入ることを躊躇していたのだが、いざ洞窟を目の前にすると、折角ここまで来たのだから何が何でも行ってみたいという冒険心がムラムラと頭をもたげてきて、「汚いからやめろ」と自制する気持ちが急速に萎えてしまった(笑)。

「この水は不潔というよりむしろ泥で濁っているだけなんだ」

と、いつの間にか勝手に自分で自分を暗示にかけている自分さえいて、気がつくと私は錆びた鉄のような茶色い水の中にどっぷりと浸っていた。

 洞窟の中は微妙に高低差があるようで、水位は一定でなく、腰までしか水のない場所もあれば肩まで水に浸かってしまう場所もある。水位の高い箇所に差しかかると、そのたびにシャロカが悲鳴を上げていた。

 インドの少年たちがはしゃぎながら魚のように洞窟の中を泳ぎ回っているその横を、今にも死にそうなよれよれの老婆が娘らしき女性に支えられて歩いていた。

 長く暗い洞窟を歩ききると、最後に4人の僧侶に守られた小さなナラシンハ寺院にたどり着いた。僧侶の一人から眉間にクムクム(ヒンドゥー教の赤い印)を塗ってもらうと、ちょうど四国のお遍路でご朱印をいただいた時と同じような心持ちがした。

 少しばかり迷いはしたが、この洞窟寺院は、やはり体験して正解だったと思う。

ドライブ途中、路傍のお茶屋さんで小休憩(左がシャロカ、右がヴェンカテーシュ。撮影 by ヒロ)



トラックに山積みの地元産サトウキビを試食中(甘い!)



むかしの城壁の跡にて、シャロカと



社会科見学(?)で来ていたらしい子どもたちと記念撮影(写真提供:ヒロ)



シーク教寺院(グルドワラ)にて。後方の建物は遠方から来た信者が無料で泊まれる宿泊施設



「聖なる泉」への入り口(シーク教寺院にて)



今回の旅の主目的であるナラシンハ寺院の入り口の風景



寺院の入り口に(他のオモチャと一緒に)置いてあったナラシンハ人形が痛く気に入った



寺院への入り口で順番を待つ人々
(内部が混雑しないよう、一定の人数制限をかけていた)



ヒンドゥー教の寺院ではこのような鈴を鳴らしてから入場する



足の下が凸凹なので気をつけて進まなければならない(裸足だから無防備だし)



サリー姿で水の中を歩くのはかなりの抵抗がありそうだ



このような水路が延々と続く。天井には排水管と思しき巨大なパイプが這っていた
(これが設置される前は信者が「バケツリレー」で水をかき出していたのであろうか)



長い洞窟の行き止まりにあるナラシンハ寺院(ここから再び
同じルートを延々と歩いて最初の場所に戻らねばならない)
 以下、次号に続く。
 ▼・ェ・▼今週のブースケ&パンダの代理∪・ω・∪ 


今回の「ブースケ&パンダの代理」はキャンパスの
外を歩いていたバッファローの皆さんです

(※前号までの写真はこちらからご覧ください)
事事如意
2015年2月2日
山田 真美
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