2011年5月4日号(第418号)
今週のテーマ:身の丈に合った暮らしをバランス良く |
★ 仏教エッセイ ★
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真言宗のお寺・金剛院さんのウェブ上で『仏教一年生』と題したエッセイを連載中。左のロゴをクリックしてページに飛んでください。 |
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今、信州の山小屋でこれを書いています。
大震災の発生から約2か月。その間、色々なことを考え、実践していました。
その間に自分の中でハッキリした課題は次の2点です。 |
(1)今後は東京と信州の二重生活を全うする。
(大学院のゼミがある日だけ東京に通う)
なるべく長い時間を自然のなかで自然とともに生きるという意味です。
最終的には信州7:東京3ぐらいの割合にしたいな、と。
(2)物書きとしては小説と学術論文を両立させる。
書きかけの空海の小説と、書き始めたばかりのカウラ事件の論文。
これらを両立して書き上げるためのスケジュールを組みました。
それから、この大震災の影響ですっかり刊行が遅れてしまった『マミリン語録』も、
ちゃんと出せるようにします。 |
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以上の2つの課題に共通するテーマは、要はバランス良く生きるってことですね。
バランス。もう、それしかないでしょう。
そういえば、囲碁が滅法強かった私の父は生前、弟子の結婚式に呼ばれて色紙にサインを求められると、白い紙の上にたった一言、
「バランス」
と書いていました。
バランスが良いということは、完璧という意味ではないと思う。
地軸だって23.4度も傾いていますしね。この傾きがあるからこそ、四季もあるわけで。
完璧でなくても構わない、バランスさえ取れていれば。
「バランスが取れている」を別の言葉で言うと、「本能に対して健全である」ということかも知れません。 |
【 ここ1か月の出来事[1] ― 桜の下でカウラ事件を想う 】

4月8日、「カウラ事件」を生き残った村上輝夫氏(91歳)と上野公園をそぞろ歩く。
ちなみに右の写真は04年開催のカウラ事件60周年記念式典でのスナップです。
(右から2人目が村上さん、左端は私の“盟友”だった高原希國氏)

多くの仲間が眠る靖国神社の桜の下で、たいやきのカケラを鳩に与える村上氏。
……そのお姿には万感迫るものがあって、声をかけることが出来ませんでした
【 ここ1か月の出来事[2] ― 今年も桜が本当に綺麗でした 】

お茶の水女子大キャンパスの夜桜

茶道家の佃一可さんのお稽古場にて、庭の桜を愛でつつカウラ産ワイン“Sakura”で一献
【 ここ1か月の出来事[3] ― 非常時だからこそ、お茶のお稽古 】

高輪のお稽古場にて。心にピンとアイロンがかかるひととき……

客人の顔色を見ながらお茶の量と湯の温度を調整するのもまた楽し

左から半東役の林さん、東役の私、正客役の鈴木さん(御指導:荒井宗羅先生)
【 ここ1か月の出来事[4] ― 4月下旬の雪景色 】

信州の山小屋周辺の風景。4月下旬にして、この積雪です。日本は広い! |
ところがここ数十年、日本人はバランスが悪すぎたのだと思います。
敗戦直後の食べ物もない極貧から始まって、働きづめの競争社会、世界もビックリの急激な経済成長と、その結果としてやってきた夢のようにキンキラキンなバブリー生活、あっという間のバブル崩壊、少子高齢化、学力低下、経済危機、その後は落ち目の三度笠。しかもその間ずっと休みなし。
これではまるで70年近くジェットコースターに乗り続けたようなものですよ。
その結果、みんな揃って人生で何が大切かが見えなくなったのもあたりまえ。
これを機に、健康なバランス感覚を取り戻さなくてはいけませんね。
具体的には、身の丈に合った生活をすること。自分の体力なり知力なり経済力なりで作れる以上のものを消費しない。
……これが原則でしょう。
ご覧のとおり、政府は見事なほど頼りになりません。隠蔽体質、大本営発表、決断力のなさ。
ホント笑っちゃうぐらい、第二次大戦末期と何一つ変わってない。
だから“ひとり”が気づいて変わる以外に方法はないだろうと思うんですよ。
本気を出せば、もしかしたら今度こそ変われるかも知れない。
これが最後のチャンスかも知れないけれど……。
愚痴ったり批判しているヒマがあったら、今の自分にできることを精一杯やる。そして、(たとえ思想が少しぐらい違っても)がんばっている人の足は引っ張らない(「出る杭を打つ」のは日本人の一番悪い癖ですから)。
やるべきことを確実にやるという、つまるところは、それだけのことなのだと思います。
(その基本中の基本こそが、実はいちばん難しいわけですけどね)
しっかりと大地に足をつけて生きていきましょ。
ではでは♪ |
▼・ェ・▼今週のブースケ&パンダ∪・ω・∪

生まれて初めて巨大ガエルに
遭遇し、固まるパンダ
(※前号までの写真はこちらからご覧ください) |
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