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2012年6月23日号(第458号
今週のテーマ:
68年目のカウラ:首都キャンベラ
―2012日豪親善カウラ・ヘイ捕虜収容所跡地訪問団の記録―
★ 仏教エッセイ ★
言宗のお寺・金剛院さんのウェブ上で『仏教一年生』と題したエッセイを連載中。第37回のテーマは「『智の器』としてのお寺の面白さ」です。左のロゴをクリックしてページに飛んでください。
 
※前号(68年目のカウラ:シドニーへ)はこちらからお読みいただけます。

 首都キャンベラでの話を始める前に、遅れ馳せながら、今回のブログに登場する場所の説明を簡単にしておきましょう。

 今回の主な訪問先は、シドニー(Sydney)、キャンベラ(Canberra)、カウラ(Cowra)、ヘイ(Hay)の4か所。それぞれの位置関係は、下の地図のようになっております。

シドニーとキャンベラの活字が小さくてゴメンナサイ!
AUSTRALIAN MAP (C)MAMI YAMADA, 2012
 さて、キャンベラのホテルをチェックアウトした我々は、一路、在オーストラリア日本大使館へと向かいました。大使公邸での昼食会に出席するためです。

 このたびの昼食会は私達の訪問をねぎらって日本大使閣下がわざわざ計画してくださったもの。

 そして昼食会には、私達の「同行者」という形で、カウラ市長ら4名のVIPがわざわざ車でカウラから駆けつけてくれました。
  
(左)在オーストラリア日本大使館 (右)芳名録に記帳する村上さん(後方の長身の男性がカウラ市長)



まずはシャンパンで乾杯。右から佐藤重和大使閣下、私、村上さん、ドン・キブラー氏(カウラ日本
庭園創設者)、ビル・ウェスト氏(カウラ市長)、ローレンス・ライアン氏(カウラ事件70周年記念式典
実行委員長)、トニー・ムーニー氏 [※後方の屏風:『エアーズロック屏風』(山田真巳・画/1983年
作品/日本大使館所蔵)]



お食事を前にご挨拶なさる佐藤大使閣下



食事中のひとこま(私の向って右がライアン氏。私の左が村上さん、一人おいてムーニー氏)



左から、娘、吉光さん、大使館職員の方(2名)、キブラー氏、村上さん、大使閣下、カウラ市長、
ムーニー氏、(その前方が私)、ライアン氏、(その前方が唄さん)



大使館の前庭にて、大使閣下と村上さん
 大使公邸に暇を告げ、カウラの皆さんとも一旦別れた私達が次に向かった先はオーストラリア戦争記念館でした。

 前回も書いたように、私達がキャンベラを訪ねた日(2012年5月31日)は、大日本帝国海軍の5隻の特殊潜航艇がシドニー港に潜入し、オーストラリア艦船に対して攻撃を加えた日から数えて、どんぴしゃりの70周年という、まさにその日だったのです。

 こんな特別の日にカウラの元捕虜でいらっしゃる村上さんと一緒に戦争記念館を訪れることになろうとは……。偶然とはいえ、なんとも不思議な運命の巡り合わせと言うほかはありません。
 
オーストラリア戦争記念館の「カウラ事件コーナー」で、当時のカウラ収容所を回想する村上さん。
(後方のオーストラリア人は同記念館のキューレーターの方。とても親切に案内してくださいました)


  
記念館の「カウラ事件コーナー」。南忠男(本名・豊島一)が吹いた突撃ラッパも展示されて
いました。右は日本人捕虜が収容所内で手作りし、余興に遊んでいたという花札です


 
(左)シドニー湾に潜入した5隻の特殊潜航艇のうちの1隻 (2)かの有名な坂井三郎が搭乗した零式戦闘機
 できればもっとゆっくりキャンベラを堪能したいところでしたが、オーストラリアは今が初冬。残念ながら、すぐに日が暮れてしまいます。

 そして、この国の郊外の道は街灯がないので半端じゃなく暗い!
(しかもカンガルーが飛び出してくるため危なっかしい)

 というような事情で、戦争記念館を早々に切り上げた私達は一路カウラへの道を急ぎました。
 
キャンベラからカウラへと向かう夕刻の道。今日の運転担当は、東大在学中にカート・レースの
大学選手権で7位入賞の経験を持つベテラン・ドライバー、吉光さん。ナビゲーターは唄さんです
 そうこうするうちにカウラ到着。すぐに、予約しておいたブレイクアウト・モーター・インにチェックインしました。

 なんとも衝撃的なネーミングのホテルですよね、直訳すれば「脱走旅館」!
 このホテルは言うまでもなく名前で選びました。というか、8年前に見たときから「一度でいいから泊まってみたいな」と思っていたんですよ(笑)。

 ちなみに、カウラの人口は8.430人(2007年現在)。海抜約310メートル。地場産業としては羊毛加工ワインづくりなどが有名と言えるでしょう。

 「カウラ」という地名の意味は、「」とも「岩の上の鷲」とも言われ、どちらが正しいのかは定かでないようでした。
 
これが噂(?)の「ブレークアウト・モーター・イン」。中身はごく普通のモーテルでした(笑)
 ホテルでササッと着替えたあとは、友達とのインフォーマルな夕食会へGO!

 カウラでの最初の食事となる今夜の夕食会は、唄さんと親しいお付き合いのあるウィンダウリー・ワイナリーのオーナー社長であるデヴィッド・オデア氏と、私の大切な女友達で2003年に60歳で急逝なさったマリオン・スターさん(カウラ研究者)の娘さん達が合同でオーガナイズしていてくれました。

 本当に、心の通った友達ってありがたいものですね♪

 なお、マリオンさんに関しては拙著『ロスト・オフィサー』の中でもふれてあります。
 本をお持ちの方は56〜61ページあたりをご覧ください。
 
カウラのお友達とのインフォーマルな夕食会:(左から)故マリオン・スターさんの二女デールさん、
メアリーさんのご長女、唄さん、故マリオンさんの長女メアリーさん、村上さん、私、ウィンダウリー
ワイナリーのデヴィッド・オデア社長、吉光さん


 
(左)数字をかたどったクッキーで91歳を祝ってもらった村上さん (右)日本土産のお面を手にはしゃぐの巻
 カウラ到着と同時に親しい友人達から大歓迎を受けたことで、いやがうえにも気持ちが高揚してまいりました。

 明日は早朝から日本人墓地の参拝。そのあとも夜まで公式行事のオンパレードとなる見込みです。

 普段から「手足が火照る。暑い」とおっしゃり、寝つきが悪い村上さん。明日のためにも今夜はぐっすり熟睡できると良いのですが。
 [以下、につづく]  
▼・ェ・▼今週のブースケ&パンダ∪・ω・∪


「ブーブー」という言葉を聞くと大喜びで
車に飛び乗るふたり

(※前号までの写真はこちらからご覧ください)
事事如意
2012年6月23日
山田 真美
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