2009年6月22日号(第339号)
今週のテーマ:空海を身近に感じる旅 |
★ 仏教エッセイ ★
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真言宗のお寺・金剛院さんのウェブ上で『仏教一年生』と題したエッセイを連載中です(毎月28日更新予定)。第14回のテーマは「女子力不足」。左のロゴをクリックしてページに飛んでください。 |
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空海関係の取材で、先週はお遍路さんの姿で四国を飛びまわっておりました。 |
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実は、今回の四国行きのスケジュールは運命が勝手に決めてくれたことでした。
というのも、6月11日は某マジシャンとの打ち合わせがあり、さらに6月18日には某ピアニストとの食事のアポが入っていて、四国へ行けるのは6月12日から17日の6日間だけということが最初から決まっていたのです。
しかも6月19日以降から8月末までは、ほぼ間断なく先約があって遠出は不可能。
言葉を換えれば、今回は「6月11日までは無理」「18日以降もダメ」という単なる消去法で、いわば否応なしに決まった四国行きのスケジュールだったのです。
が、いざ行ってみると、驚いたことに着いた初日は満濃池の「ゆるぬき」(すなわち放水)の儀式当日じゃありませんか!
かつて空海が歴史に残る大修繕工事を敢行したことで今に知られる満濃池。
その満濃池の1年に1度の大行事である「ゆるぬき」の儀式を、この目でしかと見ることができたのですから、まさに僥倖と言うほかはありません。 |

「ゆるぬき」の儀式当日の満濃池(香川県中多度郡まんのう町)にて

満濃池にて、空海さまとのツーショット記念写真(笑)。「マミリン、さぬきうどんを喰うかい?」 |
しかし、話はそれだけではありません。
旅の3日目(6月15日)は、なんと空海の1235回目の誕生日。
しかも(またまたスケジュールの都合で)その日の私は、空海が生まれた海岸寺、空海の母の実家跡地である仏母院、ならびに空海が育った善通寺におりました。
仏母院では空海が産湯をつかった井戸や、空海の臍の緒が祀られているという「えな塚」も拝見しました。
そういった特別な場所を取材した日が、よりによって空海の誕生日とは、なんたる偶然、なんたる幸運! |

空海が幼少時代を過ごした場所(現在は真言宗善通寺派の総本山)の、山門と五重塔

(右)善通寺の大師堂(別名・御影堂=みえどう)。ここには空海の自画像(秘仏)があります

空海が産湯をつかった井戸(左)と臍の緒が祀られた「えな塚」(右)。いずれも仏母院にて |
何と申しますか、一連の流れは、
「あ。もしかしたら呼ばれたのかも」
と思わざるを得ないような状況でした。
しかも今回は(アポなど全く取っていなかったにもかかわらず)行く先々で知識豊富な人が次々に現われては
「こっちへいらっしゃい」
「あっちに行きなさい」
「この本を読んでごらんなさい」
と指示を出してくれるような有り様で、お蔭さまであれよあれよという間に事が進んだ感じ。
私はそこに、何か抗いがたい運命の力を感じたのでした。ただただ感謝。
旅の途中には、取材と並行して(香川県と愛媛県で)八十八か所巡りの続きも挙行したのですが、訪れたお寺のなかには、垂直に近い角度で崖に立てかけられた梯子をよじ登らなければ修行場に辿りつけないような場所(第45番札所・岩屋寺)や…… |


写真で見ると簡単そうですが、実際にはかなり傾斜度がキツいので、
ほとんどの巡礼者は梯子に登ろうとはしていませんでした |
登山とロッククライミングをしなければ辿りつけないような場所(第73番札所・出釈迦寺奥の院)などもありまして…… |

伝承によれば空海は7歳のとき、みずからが仏道に入るに相応しい人間であるか確かめる
べく山の中腹にある崖から飛び降りたといいます。しかし釈迦が現われ天女が受け止めた
ために無傷だったとか(あくまでも伝承ですが…)。右の絵は出釈迦寺の看板の一部です

左の写真に写っている岩場の更に奥にある山をロッククライミングして行くと、かつて空海が
飛び降りたとされる「捨身誓願之聖地」(右)に辿り着くことができます |
……これらの場所を短時間で歩き回ったため、ハンパじゃない運動になりましたよ。
捨身誓願之聖地から下山したあと、この土地に非常に詳しいカメラマンさんから、
「5年前、ここでロッククライミングした人が滑落、死亡するという痛ましい事故がありましてね、それ以来3年ほど山への立ち入りが禁止されていたんですよ。最近禁が解かれて、また入山できるようになりましたけど」
と教えられました。
後ろを見ずに必死で登ったせいか少しも怖くはありませんでしたが、あとで振り返ってみると結構な難所だったようです。 |
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さて、今回の話にはひとつオマケがあります。
旅を終えて無事に東京に戻った私は、席を温める暇もなく、6月20日に真言宗豊山派の大本山護国寺で行なわれた結縁灌頂(けちえんかんじょう)に参加してまいりました。
結縁灌頂とは、目隠しをされた状態で暗室に連れて行かれ、水平に置かれた曼荼羅の上に華を投げて(投華得仏=とうけとくぶつ)、華の落ちた所に描かれた仏と結縁し、その直後に頭頂に聖水を注いでもらって仏位につくという、極めて密教的な仏事です。
結縁した仏は、灌頂の受者(今回の場合は私自身)の守り本尊となります。
密教では大日如来をもってすべての中心(宇宙の真理)と見なすため、大日如来の上に華が落ちることが一番喜ばれますが、曼荼羅にはたくさんの仏が描かれていますし、なにしろ暗がりで目隠しをされていますから、意図的に大日如来を選んで華を投げることは不可能です。
入唐中の空海は「金剛界」と「胎蔵界」、2度の灌頂を受け、華は2度とも大日如来の上に落ちました。
これを大変な吉兆と見た師匠の恵果が、
「不可思議、不可思議」
と膝を打って喜んだというのは有名な話です。
さて、今回護国寺さんで行なわれた結縁灌頂は、宗派をあげて何年ぶりかで行なわれる大規模なもので、唐の時代に空海が受けた灌頂を思い起こさせる優雅なイベントでしたが、私が投げた華も、なぜかやはり大日如来の上に落ちました。
これまた何とも不可思議!
そんなこと、こんなこと、色々ありまして、四国以来、空海が驚くほど身近な存在に感じられる今日この頃なのです。
ではでは♪ |
▼・ェ・▼今週のブースケ&パンダ∪・ω・∪

いたずらパンダが叱られているところ
(※前号までの写真はこちらからご覧ください) |
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