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2011年7月18日号(第425号
今週のテーマ:
帝国陸軍の二紳士を訪ねて鳥取へ
★ 仏教エッセイ ★
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 今から67年前にカウラ戦争捕虜収容所で捕虜となっていた旧帝国陸軍の二紳士をインタビューすべく、鳥取県へ行って参りました。

 今回の旅では、かつてカウラの捕虜達がオーストラリア軍の監視の目をかいくぐって密造したカウラ正宗(ドブロク)の完全レシピを入手するなど、かなりの“大戦果”がありましたよ(笑)。

 第一日目は、鳥取県のほぼ西端の某所で元軍曹(92歳)を取材。
 第二日目は、前日とは正反対の鳥取県のほぼ東端の某所で元兵卒のX氏(91歳)を取材。

 取材の結果をここに書くことは一切できませんので、今回の「週マ」は写真による鳥取紀行です。
  
取材の合間にX氏のご案内で観光。というか観光しながら取材。新しい取材スタイルです(笑)


  
松島に匹敵する奇岩を誇る浦富(うらどめ)海岸沿いをクルーズ。水の透明度が素晴らしい!


  
遠くに見える白っぽい海岸線が鳥取砂丘です。エリアは意外に小さいんですね。
売店で見つけたイカ墨ソフトは唇が黒くなりそうなので今回はトライしませんでした
 クルーズのあとは鳥取砂丘へGO!

 ちなみに鳥取砂丘は放置しておくとどんどん緑化が進んでしまうため、近年はボランティアの皆さんが総出で草むしりに励んでいらっしゃるのだそうですよ(詳しくはこちらの公式ニュースをご参照ください)。

 「緑化に頭を悩ませる」なんて時代に逆行しているようで奇妙な話ではありますが、とはいえ砂丘の観光資源としての価値と、わずか545ヘクタール(東京ドーム約140個分)しかない面積を考慮すれば、ここはやはり草むしりを続けてゆくのが順当でしょう。

 ちなみに砂丘のすぐ外側には住宅地が広がり、そこには濃い緑が生い茂っていました。
 X氏によれば、これらの緑には砂丘から飛んでくる砂を防ぐための防風林という側面があるのだそうです。

 ふむ、砂丘もなかなか奥が深そうですね。
  
2人乗りのロープウェイで砂丘から高台まで移動できます。ラクダにも乗れます!



鳥取砂丘。最大90メートルもある高低差が魅力的。英語の“dune”(デューン)という語感がピッタリ!


  
こちらは観光用の馬車。「ラクダより馬車がええがな」というX氏の提案で馬車に乗りました(笑)



ゴンタ君と記念撮影。ちなみにメスのナナちゃんもいます♪
 さて鳥取といえば伯耆(ほうき)の国。『古事記』に登場する神話の宝庫でもあります。

 今回はあまり時間がありませんでしたが、ともあれ因幡(いなば)の白兎だけでも押さえておきたい!と思い、行ってまいりました。その名も白兎海岸(はくと・かいがん)へ。

 白兎海岸の沖合すぐのところには、白兎が住んでいたという淤岐嶋(オキノシマ)が見えます。

海に浮かんだ島が淤岐嶋(オキノシマ)。
手前の石碑には「大黒さま」の文字が見えます
 皆さんよくご存知とは思いますが、ここで「因幡の白兎」のお話を簡単におさらいいたしますと……その昔、この島に住んでいた白兎は、島から出るためにワニ(※いわゆるサメのこと)をだまして陸地に渡ることに成功。

 ところが最後に嘘がバレてワニの逆鱗に触れ、全身の皮を剥がれてしまいます(うひぃ、痛そう)。

 赤裸になった白兎が泣いていると、そこへ通りかかったのは大国主命(オオクニヌシノミコト)のお兄さん達。
 こいつらがトンデモナイ悪人どもでして、

「傷を海水(塩水)でよ〜く洗って風に吹かれていれば、傷は治るぜ!」

と大嘘をつき、さらに白兎の傷を悪化させてしまうんですねえ。この人でなし、もとい、神でなし!

神社の下にある「道の駅」の前に立つ大国主命と
白兎の等身大の像。兎がめちゃくちゃキュート♪
 瀕死の兎が倒れていると、次にやって来たのは大国主命(オオクニヌシノミコト)。実は、彼は日頃からさんざん兄達のイジメを受けており、この日も兄達の荷物を運ばされていたために歩みが遅かったわけですね。

 傷ついた兎を見た大国主命は気の毒に思い、

「すぐに池の真水で傷を洗い、ガマの穂の綿をほぐした上で転がってごらん。傷は治るよ」

と教えます。兎が言われたとおりにしたところ、傷は完治。ちなみに白兎海岸の前の高台をちょっと登ったところにある御身洗池(みたらし・いけ)こそが、兎が傷を治した場所なんですって。

 大国主命のやさしい心に感激した兎は、

「美しい八上姫(ヤガミヒメ)は、あなたのお兄さんではなく、あなたを選んで結婚するでしょう!」

と、まさかの大預言(笑)。

 しかも、この預言がズバリ当たったことから、白兎を祀った白兎神社(御身洗池のすぐ上にあります)には、今では縁結びの神様として全国から参拝者があるそうです。面白いですね〜♪
  
白兎神社の入り口。手前に海岸があります。鳥居をくぐって階段を上がると御身洗池が……


  
参道に並んだたくさんの兎像。いろいろなポーズを取っていました


  
「縁」と刻まれた白い石(授与所で売っています)を兎の上に乗せるとご利益があるのだとか
 子どもの頃から何度も絵本などで読んで知っていたはずの「因幡の白兎」のお話ですが……こうして改めて現地で見ると新鮮ですね♪

 ところで皆さまは、お気づきになったでしょうか。
 上に掲載した20枚の写真の中に、ひとつ、神話的な間違いがあることに。

※気づかなかった方は、もう一度写真をよ〜く見直して間違いを見つけてみてくださいネ♪
 解答編は↓下のほうにありますよ。

おまけ写真。芋焼酎「天孫降臨」で『古事記』の世界にタイムスリップ♪
 さて皆さま、間違いがわかったでしょうか。

 そうです。石碑の写真。

 ここに「大黒さま」と刻まれていますが、白兎の神話に登場するのは「大黒さま」ではなくて「大国さま」。
 ダイコクはダイコクでも「大黒さま」は大黒天の略称でインドの神様ですから、因幡の白兎とは何の関係もないのですよ(大汗)。

 実は、この石碑に刻まれているのは明治33年に尋常小学校唱歌に選ばれて一躍有名になった『大Kさま』という歌の歌詞なのですが、作詞者の石原和三郎さん(1865年生まれ〜1922年没)という方が、どうやら大国主命を『大Kさま』と書いてしまったことが、そもそもの間違いの発端のよう。

 歌詞の中でもしっかりと、

「大きな袋を肩にかけ 大K様が来かかると ここに因幡の白うさぎ 皮をむかれて赤裸」

と記載してしまっているんですねえ。

 確かに大国も大黒も大きな袋を担いでいるし……名前のみならず姿形からしてまぎらわしいおふたりではあるのですが。
(※このふたりが間違われやすい件は、拙著『吉祥天と行くインドの旅』の中でも指摘したことがあります)

 それにしても尋常小学校唱歌に選ばれた時点で、どうして誰も間違いに気づかなかったんでしょ。
 そういう会議には、きっとえらいオジサンがたくさんいらっしゃったでしょうに。

 明治時代の歌の歌詞について今さら騒いでみても後の祭りですが、せめて教育的配慮から、石碑には「だいこくさま」と平仮名で彫ったほうがいいんじゃないかなと、インド神話研究者のひとりである私としては思います。はい。

 今回の鳥取行きでは、ほかにも鳥取城址やら大正天皇がお泊りになった洋館(仁風閣)やら、色々な場所を回ったのですが、時間の都合により、今日の日記はこれにておしまいといたします。

 鳥取へは、おそらく来月もう一度行くことになるんじゃないかと……。その折りには、スサノオノミコトが八岐大蛇を退治した船通山(標高1,142メートル)へも、ぜひ足を伸ばしたいと思います。

 ではでは♪
▼・ェ・▼今週のブースケ&パンダ∪・ω・∪


ママリンが鳥取へ行ってしまい、ご機嫌ナナメ

(※前号までの写真はこちらからご覧ください)
事事如意
2011年7月18日
山田 真美
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