2009年2月20日号(第323号)
今週のテーマ:Kookaiと高野山 |
★ 仏教エッセイ ★
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真言宗のお寺・金剛院さんのウェブ上で『仏教一年生』と題したエッセイを連載中です(毎月28日更新)。第10回のテーマは「夢のお告げ」。左のロゴをクリックしてページに飛んでください。 |
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【 重 要 な お 知 ら せ 】
ウェブサイト「NPO法人日印芸術研究所 India-Japan Art」を制作・運営なさっている方は、
最初にこちらを必ずお読みください。
前号でお知らせしました「なりすましサイト問題」につきましては、たくさんの方から励ましのメールをいただきました。
皆さま、本当にありがとうございます。この場をお借りしまして、改めて御礼申し上げます。
また法律やコンピュータに詳しい方々からはさまざまな具体的アドバイスをいただき、勇気づけられました。重ねて御礼申し上げます。
2月20日現在、問題のサイトは依然としてそこに在ります。
今月27日までに問題が解決しない場合は、予定どおりこの件は専門家の手に委ねます。
皆さまには必要に応じて経過を報告して参りますので、引き続きご支援のほど何卒よろしくお願い申し上げます。 |

少し前のニュースです。ご紹介し忘れていた
のでアップしておきますね(クリックで拡大) |
ところで先週は高野山へ行って参りました。今年に入ってから初めての高野山です。
今回は気合いを入れて臨みたいこと(修士論文口述試問)があったものですから、勝負ファッションに身を包んでの出陣となりましたよ。
私の場合、勝負ファッションと言えば即、KOOKAIファッションを意味します。
ジャケットからバッグ、セーター、腕時計、メガネケース、ピアス、ハンカチや小物入れに至るまで、全身をKOOKAIづくめにする。これが私メの勝負ファッションなのです(下の写真はその一部)。 |


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しかしなぜ、これが勝負ファッションなのか?
実はですね、KOOKAIはフランスのブランドで、「クーカイ」と読むのです。
そうです。あの空海さまと発音が同じ。
フランスのブランドが一体なぜ「クーカイ」を名乗っているのか。弘法大師空海を意識しているのか、はたまた偶然の一致なのか。
……といった詳しいことは何一つわかりませんが、理由はともあれ、いかにも縁起よさげな名前でしょ?(笑)
というわけで最近の私は、ここ一番の勝負の日にはKOOKAIファッションでキメることにしているのです。
それはともかく、今回の高野山行き、メインの用事は言うまでもなく高野山大学へ顔を出すことでした。 |

久々に高野山大学図書館に顔を出してみると、なんと
「山田真美コーナー」が出来ていました。感激♪ |
のみならず今回は、空海に関する調べ物をすべく、あちらこちらを歩き回りました。
伝説によれば、空海は真言密教の本拠地となる場所を探している途中、どこからともなく現われた2匹の犬に先導されて高野山に辿り着いたと言われます。
このときに空海を案内した犬は、狩場明神(かりば・みょうじん)の飼い犬でした。
狩場明神とは、天照大神の妹の息子とされる由緒正しい系譜の土地神さま。
その狩場明神が連れていた2匹の犬が、空海を高野山へ案内したと伝説は伝えています。
もちろん、これはあくまでも伝説ですから、犬うんぬんのエピソードが史実であるかどうかはわかりません。
空海の伝記には日常と非日常のあいだのギリギリで語られる伝説が多く、それが(良い意味で)空海の魅力を深めているんですね。
また、くだんの犬伝説の細部には諸説があって、2匹の犬は白い犬と黒い犬だったとも、黒い犬が2匹だったとも言われます。
犬の名前が四郎と九郎だったと説明している書物もありますが、これはおそらく白(シロウ)と黒(クロウ)にかけたオヤジギャグでしょう(苦笑)。
いずれにしても、空海が2匹の犬たちと出逢ったとされる奈良県五条市には、犬を祀った犬飼山転法輪寺というお寺があります。
今回の旅では、そういう空海ゆかりの地をいくつかめぐって来ました。 |

空海が2匹の犬に出逢ったという場所に建つ転法輪寺

空海を高野山まで導いたとされる白・黒2匹の犬は、狛犬や絵馬として丁重に祀られていました

こちらは空海創建しの丹生官省神社に建つ看板。
空海と狩場明神と2匹の犬が描かれています |
このあとは空海ゆかりのお寺をいくつか巡り、夜は宿坊に泊まり、最後に立ち寄ったのは高野山奥の院。
ここでは、以前から正体を確かめたいと思っていた謎の標識の正体を、ついにこの目で確かめることが出来ましたよ。
去年「週刊マミ自身305号」にも書いたので、もしかしたら覚えていらっしゃるかも知れませんが、謎の標識とは、奥の院の広大な墓地の中にポツンと建てられた「スキー場 200m」の標識のこと!
去年の夏以来、私はこの標識のことが気になって気になって仕方がなかったんです。
なにしろ標識の周辺は、約2キロの道のりに沿って見わたす限り墓標、墓標、墓標。そこからたった200メートルしか離れていないところにスキー場があるなんて、このうえなく場違いに思えます。
「スキーでちょっと暴走したら、そのまま墓石に激突してしまうのでは?」
という懸念さえ頭をもたげ、他人事ながら心配になってしまったわけですよ(汗)。
去年は忙しすぎて時間がなく、スキー場に足を伸ばすことは断念したのですが、今回、ついに半年越しの疑問を解くべく、この目で現地を視察して参りました(笑)。
ところが驚いたことに、標識のある場所まで行ってみれば、去年は確かに「スキー場 200m」と書かれていた文字が消えているではありませんか! |

これが噂の(?)標識。奥の院の墓地の中に建っています。左は昨年8月、右は今回撮影した
写真。ご覧のとおり、標識から「スキー場」の文字が消えています |
文字が消えているということは、もしやスキー場は廃業?!
戸惑いを覚えながら、標識に従って山道に入りました。
鬱蒼と茂った森の中、所々にぽつんぽつんと朽ち果てた墓や倒れかけた卒塔婆があって、気分はまるで肝試し(苦笑)。 |

標識の先は、昼なお暗い森。所々で
朽ち果てている墓石が雰囲気満点! |
この恐ろしげな道の先に、本当にスキー場があるのでしょうか?!
小走りに歩くこと200メートル。突如として視界が開け、枯れ草で覆われた広場(?)のような場所が目の前に姿を現しました。 |

……。 |
どうやら、これがスキー場のようです(汗)。
ただし、暖冬のせいか積雪はほとんどなく、滑走は不可能。
あたりに落ちていた壊れたソリや手袋の片割れ、スノーバギーの残骸などが、ここがスキー場であることをかろうじて物語っていました。 |
ここがスキー場であることの証拠の品々 |
もっとも、この場所を「スキー場」と呼ぶことには、ちょっと無理があるかも知れません。
なにしろここにはリフトも売店もありませんし、地面に多少の斜度はあるものの、スキー場として特に整備されているわけではありませんので。
でもまあ、考えてみると、スキー板を初めて履いた超初心者の練習には、こういう場所が打ってつけかも知れませんね。
私はスキーのメッカ・信州の生まれで、物心のついた2〜3歳の頃には、靴を履くような自然な感覚でスキー靴を履き、雪が降れば毎日のように近所の友達と滑っていました。
と言っても、スキー場へ行くことなど滅多にありませんでしたから、普段はもっぱらそのへんの空き地や坂道で滑っていただけ。そうやって、少しずつスキーに慣れていったわけです。
最初から安易にリフトに頼ってしまうと、足腰が鍛えられませんし、初心者がいきなり上級コースに登ってしまうといった危険もあるのでは?
そういう意味では、最初は高野山スキー場のような素朴なスキー場で鍛えるのが、正しいやり方かも知れませんね。
来シーズン、もしも雪がたくさん降ったら、やはり高野山で一度は滑ってみたい気がします。
もしも一緒に滑りたい方がいらっしゃいましたら、今のうちに手を挙げておいてください。
希望者が多ければマミリン・ツァーを企画するかも知れませんよ(笑)。
……というわけで今回も、あれこれ盛りだくさんな高野山への旅でした。 |

スキー場の片隅には弘法大師空海の小さな像が。
さすがは高野山! |
さて、最後に嬉しいお知らせがひとつ。
私事で恐縮ですが、都内のインターナショナルスクールに在学中の息子が、このたびお蔭さまで第一志望の大学(英国)に合格いたしました。この秋から、理学部で化学を専攻します。
あの小さかった息子がもう大学生……と思えば感慨もひとしおですが、それにしても私のような数学オンチから超理系の息子が生まれたのも不思議な話です。
もっとも、こういう一発逆転のサプライズがあるからこそ、人生は面白いわけですが。
彼が入る予定の大学からは、これまでに14人のノーベル賞受賞者が誕生しています。世界のトップクラスの大学で、息子には思いきり好きな研究に打ち込んで欲しいと願っています。
次回の「週刊マミ自身」は、2月27日、私の誕生日に更新いたします。
ではでは♪ |
▼・ェ・▼今週のブースケ&パンダ∪・ω・∪

ちょっと絵になるガラス越しのブースケ
(※前号までの写真はこちらからご覧ください) |
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