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2012年3月5日号(第445号)
今週のテーマ:
18歳から22歳の私を探しに
★ 仏教エッセイ ★
真言宗のお寺・金剛院さんのウェブ上で『仏教一年生』と題したエッセイを連載中。第34回のテーマは「インドマジックで被災地に笑顔を[2]」です。左のロゴをクリックしてページに飛んでください。
   調布FM「気分はいつもブルースカイ」で1時間たっぷりインタビューを受けます。サイマルラジオで世界中どこからでも聴視できます。
オンエア: 3月25日(日)18:00〜19:00
  トークショーのお知らせ
『 ヒマラヤ最後の王国ブータンの魅力 ― 第5代ブータン国王ジグメ・ケサル・ナムギャル・ワンチュク陛下戴冠式見聞録』
★日時: 4月21日(土曜日)午後5時開場・6時開演
★会場: 戸隠高原「カフェ・チェンバロ」
★事前予約制です(お申し込みはチェンバロへ)
 (左の写真をクリックすると拡大画面をご覧いただけます)
 誕生日の前後になると、これまでの人生をふと振り返りたってみたくなるのは人間の性でしょうか。

 2年前の誕生日、私は「小さな『まみちゃん』をさがしに」と題してこんな文章を書いていました。
 
ちなみにこちらは、2歳どころか生後54日目の私(撮影者は父または母)
 早いもので、あれから2年。

 今年の誕生日には、Facebookなどインターネットを通じて自分史上最多となる170通のバースデーメッセージを受け取りました(感謝)。

 しかしまあ、こんなふうに世界中の友達とネットで繋がる時代が来るなんて、大学時代は想像すらできませんでしたよ。それどころか私の大学時代はワープロやファックスさえなかったんですから。いま思えば、ほとんど石器時代(笑)。

 さて今月は大学卒業から数えて満30年の節目ということで、せっかくなので仲の良かった女友達と一緒に30年ぶりに大学キャンパスを歩いてみることにしました。

 待ち合わせ時刻の17時までに間があったので、まずは大学時代に住んでいたアパートの跡地を見に行ってみることに―。
  
(左)この路地を入った左側が、4年間暮らしたアパートがあった場所です (右)アパートがあった場所。
現在は3階建ての家(茶色の建物)と自動車2台分の駐車スペースになっていました
 アパートから大学までは徒歩5分弱。いわば学校のすぐ横に住んでいたわけで、そのため、休講になったときや、講義と講義のあいだの時間が長くあいているときなど、よく同級生が部屋に押しかけて来たのも、今となっては懐かしい想い出です。

 アパートは、確か家賃が1万9,000円(月額)だったんじゃないかな。安っ!

 さすがにその値段ではお風呂が付いていませんでしたが、当時の学生にとってそれは普通のことでしたし、毎晩のように近所の銭湯に通うのは本当に楽しかったんです。

 今回の散策中、お銭湯の象徴である煙突が見えなかったので、近くのクリーニング屋の奥さんに聞いてみたところ、残念なことにお銭湯は2年前に取り壊されてしまったんですって。

 そういえば町全体の雰囲気も何となく変わったような感じで、要はどこにでもあるマンション街になってきたと言いましょうか、全体にやや“よそゆき”な感じを受けました。

 とはいえ、 あの頃たまに「おから」を分けてもらったお豆腐屋さんや、いつも店先に箒(ほうき)を50本ぐらい並べている金物屋さんが今も健在だったのは嬉しい驚きでしたが。

 町を歩いているあいだには、こんなことも思い出しましたよ。

 私が住んでいたアパートの下の階に、祖母・母・娘(中2)・息子(中1)の4人家族が住んでいたんです。おばあさんは家に籠ったまま朝から晩まで読経をしている人。お母さんはバツ2のワーキングウーマン。子ども達はそれぞれお父さんが違ったようです。そして、今の言葉でいえばDVがあったのでしょう、年に数回は大喧嘩の末に救急車が呼ばれるという、問題の多いご家庭でした。

 もちろんこの方達もお銭湯に通っていたのですが、あるとき、もともと太り気味だった中学2年生の娘さんのおなかが目立って膨らんできたんです。

 近所にひとり、美人だけれどもズバズバと物を言うオバサンがいまして、ある夜のこと、混み合っているお風呂場で、皆にも聞こえるような大声で、「おたくの娘さん、ただの肥満には見えないわよ。妊娠してるんじゃないの?」とバツ2のお母さんに向かって言い放ったんですね。

 誰もが心では思っていたけれど口には出せなかった一言をオバサンが言ってくれたので、一同、水を打ったようにシーン……。

 ところが女の子の母親は「失礼なこと言わないで!」と激怒してしまい、取り合おうともしませんでした。

 そうこうするうちにも女の子のおなかは着々と成長を続け、そしてある日、ついに女の子は学校で産気づき、病院へ向かうタクシーの中で出産してしまったのです。

 いやー、あれはまさしく町内会がひっくり返るほどの大事件だったわけですが、思えばあの頃は多くの人が他人のことにまでお節介を焼き、口をはさんでいました。あの時代は、ちょっぴり面倒くさくて、だけどどこか優しい、古き良き昭和の最後の1ページだったのかも知れません。

 それにしても、あのとき生まれた赤ちゃんがもう32〜33歳、女の子も40代半ばになっているのかと思うと感無量です。どこかで元気に生きていてくれることを願います。

 以上、高輪1丁目の閑静な住宅街には不似合いなエピソードだったかも知れませんが……大学へと続く冬枯れの道を歩きながら、私はそんな遠い日の出来事を想い出していたのでした。
 
 
正門側から見た明治学院大学メインキャンパス(港区白金台)
 さて、大学の正門に到着し、待つことしばし。

 まずは約束の時間ピッタリに明子さんが到着して、「真美〜!」と叫びながら抱きついてきました。まるで30年の時を一足飛びにやって来たかと思うほど、彼女、全然変わっていません!

 それから約15分後、なかなか現われない浩子さんに電話をしたところ、「ごめーん、いま品川駅に着いたー」という、のんびりした声。うーん、彼女も少しも変わっていません(笑)。さらに待つこと5分、タクシーで浩子さんが到着。

 こうして、1982年の卒業から数えてちょうど30年目の再会と相成りました。
 仲間内の欲目かも知れませんが(笑)、なんだか私達、全然変わっていないみたい!

30年前に卒業式が挙行されたチャペルの前で記念撮影(左から順に、私、明子さん、浩子さん)。
ちなみにこの写真を撮ってくれたのは通りすがりの女学生。「今年卒業したばかりの経済学部生」
を名乗っていらっしゃいましたから、私達と同学部のちょうど30年後輩ということになります♪


 
チャペル内部。パイプオルガンが新しいものに変わったほかは、基本的に昔と何も変わっていません。
あまりの懐かしさに、そのまましばし時を過ごしました
 こうして3人でキャンパスの中を歩き回るうちに、忘れかけていた昔の想い出が出てくること、出てくること(笑)。どの教授が好きだったとか嫌いだったとか、誰と誰が付き合っていたとかいなかったとか、思えば4年間ほとんど毎日一緒にいたわけですから、想い出の量も膨大です。

「真美はあの頃から、世界に向かって飛び立ちたいっていつも言っていたよね。『
海の向こうで起こっていることが気になって気になって仕方ない』って、あなた、いつもそう言ってたわよ」

と指摘されましたが、本人はよく覚えていません。
 自分が忘れていても
同級生は30年間も忘れずに覚えていてくれた。ありがたいものですね。
  
会食は品川駅アトレのオイスターバーで。学生時代にはできなかった大人の贅沢です(笑)
 そういえば、ちょっと不思議な話がひとつ。

 明子さんは今年、「お年玉付き年賀状」が2枚だけ当たったらしいのですが、その2枚というのが、なんと浩子さんと私からの年賀状だったんですって!

 偶然とはいえ面白いですよね〜。
 この3人の組み合わせで何かをするとラッキーなことが起こるという予言なのかも♪

品川駅前の「アンナミラーズ」でおしゃべりの続き。左から浩子さん、私、明子さん
 それにしても、積もりに積もった30年分の話にまさに時を忘れた夕べでした。

 最近の経済学部は学生の半数近くが女の子だそうですが、私たちの頃は300人中20人
 もう少しで「絶滅危惧種」といった風情だったんですよ(その分、男の子からは非常にモテました(笑))。

 せっかく縁あって出会った希少価値の高い女友達ですし、皆さんそろそろ子育てが終了して自由時間が増える頃のようですから、この次は本格的な同窓会を計画したいと思います。

 できればこの秋にでも、ぜひ♪
 
ちなみに明治学院は来年で創立150年。日本で一番古いミッションスクールなんですよ♪
 明子さん、浩子さん、今回は楽しい時間を本当にありがとうございました。
 つづきを今から楽しみにしています。

 ではでは♪
▼・ェ・▼今週のブースケ&パンダ∪・ω・∪


冬太り(!)解消のための「スノトレ」に励むパンダ

(※前号までの写真はこちらからご覧ください)
事事如意
2012年3月5日
山田 真美
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